おはよう。CHESSを愛する皆様。今日は朝とは思えないドンヨリした空。俺…いっぱい書きました(笑)。だってみんなの想いに少しでも応えたいから。空の重さを、CHESS祭のこの熱い語り合いで吹き飛ばそう!
まず、アナトリーとスヴェトラーナはどこでどう出逢ったのか?今日はここから行こう。これはまったく謎だよね。だからこそ妄想できて楽しいんだけど(笑)。AKANEちゃんともいろいろ話し合いました。なんとなく”お見合い結婚”かな…とか。
「もう一つのCHESS」という”アナトリー外伝”の小説を書いて送って下さった方もいて、そこには妻との出逢いが克明に丁寧に書かれていました。これもイメージが広がってめっちゃ素晴らしかった。
皆さんはどう思ってましたか?これは勿論、観た人によって意見が違うと思います。
あくまで一案ですが…そもそもアナトリーは、5歳とか10歳くらいの時に、適性検査みたいなもので「チェス」の才能を見出されたんじゃないかと思っています。ソ連時代ですからね。そして「チェスプレイヤー特訓センター」みたいな所で、朝から晩まで世界一を目指してチェス漬けになって生きてきたんじゃないかな。チェスはソ連の国技に近いと聞いたので…それはそれは極めてレヴェルの高い、極めて厳しい訓練を勝ち抜いたんじゃないか。泥んこになって遊んだり、オモチャと戯れたり、インベーダーゲームをしたり、そんなこともせず。
だいたい、アナトリーってスポーツとかファッションとか関心なさそうだよね(笑)?山登りしたり…ラグビーしたり…デパートとか行ってフィッティングしてる図が浮かばないのは俺だけかな?ソ連時代、きっと洋服も妻に選んでもらってた気がする。1幕の衣裳と2幕の衣裳がガラッと変わるのも、洋服を選ぶ人がフローレンスに変わったからじゃないかな?「これは~よくある~話~」(笑)。
AKANEちゃんとは「アナトリーとスヴェトラーナは、メラーノまでに夫婦仲に亀裂が入っていたわけではない」そんな夫婦にしたいと話しました。フローレンスと共に新しい人生を歩むのは夫婦仲が悪かったからじゃない、そう思っています。
2人の子供を抱えているし、いろんな風や波に襲われたことはあるだろうけど、互いに精一杯愛し合っている夫婦だったんじゃないか。ただ大会直前はオリンピックに初出場するアスリートのランナーみたいなものだから、そりゃあピリピリもしてたと思います。毎日モロコフに生活を干渉されて、盗聴に怯えて、勝利を強制されて…。
そこで、ディフィカルトのシーン(1つの王座をめぐって…熾烈な試合が始まる という曲です)。
ここは荻田さん、AKANEちゃんと何度も話し合ったシーン。あそこはソ連のセルギエフスキー家の居間という設定でした。1階では「アービター、ウオルターと米ソの両陣営のセコンド達」が世界大会に向けて最後の話し合いをしている。
アナトリーはその会議の最中、落ち着かずに居間をウロウロとしている。数日後にはソ連を離れイタリアのメラーノに乗り込むところだからだ。
作品の中でほとんど笑顔の無い2人だから、せめてここは何とか笑顔でいられないかなぁ」とAKANEちゃんと話し合ったな。それで、世界大会が近いアナトリーがピリピリしてるので、それを気遣って笑顔で「アナトリー、夕飯ができたわ。子供達も待ってるわ」とか「車が到着したのよ。どこかに息抜きに出かけましょう」と声をかけてくれたんだ。俺はその繊細な笑顔に向かって「…僕は何も食べたく無い」とか「どこにも出かけたくない」とか「今ボクがそんな気持ちになれないこと…わかるだろう?」とか答えてました。スベトラーナの笑顔が凍る瞬間が切なかった。でも、きっとチャンピオンシップの前でものすごくイライラしてた気がする。
その後、ディフィカルトを歌い”マーチャン”のイントロの中で階段を上ると寂しげに佇むスベトラーナ。俺はその背中を後ろから抱きしめて、「…スベトラーナ…さっきはすまなかった。あんなことを言うつもりじゃなかったんだ。アレクセイとニコライはどうしてる?一緒にご飯を食べよう」とか言ってました。
息子の名前は、長男 ダンスの上手いアレクセイ。次男 物事に白黒つけないと気がすまないニコライ。2人で決めました。
毎回毎回、ひどいことを言っては謝るアナトリーだったな。この時点でかなり孤独感に押しつぶされる寸前だった気がする。心がささくれだって、しなくてもいい言い争いが生まれる。誰の人生にもそういう時ってあるよね?アナトリーにとってもスヴェトラーナにとっても、非常に厳しい状況だったのだと思う。世界大会に挑み、なおかつどんなことがあっても負けることは許されない状況。特にチェスは個人と向き合う戦争のような競技だから。いつもそこを想像して板に立ってました。
またこんなことも考えました。「東側では向かう所 敵なし」と言われるアナトリーですが、フレディーと闘うのはどうやら初めて。世界大会出場もむろん初めて。一方、フレディーは世界チャンピオンを何回か防衛している堂々とした感じ。ということは、昨年までのワールドチャンピオンシップには別のソ連代表が出場していたと考えられる。きっとその男はソ連No 1で、アナトリーがどうしても越えられなかった大きな壁なんじゃないかな?だからアナトリーはソ連No2の座にずっといたんじゃないか。遂に彼を倒してソ連王座になったアナトリー。「勝利と栄光と地位と虚しさまでも」手に入れた…。
年齢設定は特に書かれていないけど、フレディーが30歳くらい。アナトリーは40代かなあと話していました。ということは10歳くらいでCHESS養成所に入ったアナトリーが、青春の何もかもを犠牲にして、歯を食いしばって、30年という膨大な時と人生を費やして頂点に立ったということになる。世界最強のチェス大国ソ連の厳しい現実。こんな風に考えると、天才フレディーとの世界大会に挑む「アナトリーの心の中」が見えてくる気がする。絶対に勝たなければならない。国からの重圧でもあり…何よりも自分への誓
い。
い。
いかがですか?アナトリーとスヴェトラーナとの出逢い・結婚の背景。そしてアナトリーの生い立ち。皆様の想像も聞かせて下さいね。
日本版Chessの「Anthem」が聴けるCDは、現在のところ、僕のミュージカルアルバム『Treasures In My Life』だけです。もちろん荻田さんの歌詞です。
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君と僕の聖歌を奏でよう ~アナトリーより愛をこめて~
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場所:ヤクルトホール 東京 新橋 (〒105-0021 東京都港区東新橋1丁目1−19)
内容:ミュージカル(『Chess』 からもちろん歌います)~かっこいいカヴァー曲~石井のオリジナル~オモシロ企画
ゲスト:発表をお楽しみに
補足です。
自分の書いた「二人のキングが似ている」はもちろん、穴鳥の心は剥き出しではありませんが、勝負に生きる男たちは何かにすがりたいのかな、ということです。
アッキーファンが、穴鳥は自由奔放なフレディが羨ましかったのだ、彼が持っているものが欲しかった(からフローレンスを奪った)とツイッターで呟いていて、言われてみればそう見えなくもなく。フローレンス主体で見ている身としては思いもつかない新鮮な解釈でした。
でも穴鳥さんの自由への欲求。コンサートのソロよりは、すみません、薄れていたような。ソ連に誇りをもち、家族を大事に思っているように見えるので、それほど息も詰まるようなものは感じなかったというのが正直な感想です。
もうひとついいですか😃
フローレンスは、最初はフレディを愛していた。
だけど彼のために尽くしてるのに、相手はちっとも言うことをきいてくれない。
子供っぽいフレディの行動に嫌気がさしていた。
このあたりでアナトリーの大人っぽさと優しさに
ひかれはじめたのではないでしょうか。
そしてトドメに、フレディはお父さんの話まで 持ち出してきた。
ここで「どこまで耐えてゆけるのだろう!?」と叫びますよね。
これは実はアナトリーも別次元で、同じ心情だったと思って観てました。
アナトリーとフローレンスが愛し合ったのは、とても短い期間だったかもしれません。
ですがこの愛を一瞬でも貫き生きたことは、
お互いの人生にとって悔いのない出来事だったのではないでしょうか。
ゆえにふたりが別れるときは「美しい別れ」なんじゃないかなと。
私はアナトリーがソビエトに帰ったのをみて、
おさまるべきところにおさまったんだと思いました(笑)
亡命に至るまでの夫婦関係の終止符ね(笑)
導き出した答えが合ってるかどうかはわかりませんが、一応私は私の中で終止符を打てました(^_^)
チェスに精通されている皆様のコメントで気づかされるものを、私も自分の心で感じたい。
AORをわんさか聴き始めた動機と、ちょっと似てるかも。
大変参考にさせて頂きました。有難うございました(^_^)
あ、それと。石井さんの理想も入ってるなんて書いてごめんなさい。
皆様のコメントをヒントに二幕を見直してみると、石井さんの仰る通りの夫婦仲だったのだろうと納得しました。
私こそ自分に引き付けて、感情的なものの見方をしていたようです。
とにかくチェスを少しでも理解したくて。各々自由に受けとればいいのでしょうけど、作者は何を意図していたのかを知ろうとすると、ここの解釈を間違えると、他をかけ違えてしまうような気がして。
英語もわからず歌詞を全て聞き取れた訳でもなく、なんとも無謀な話ではありますが、皆様のコメントのお陰で少しずつ見つめ直すことができました。
なんとなく近づけたかなぁ?
これ、いつか終止符が打たれるのでしょうか?(笑)
>重症患者1号様
>「山で手をつなぐ以外に」
私はむしろ、ここで中途半端に手を差し出してくれなければ!と思っていました(笑)
でも山荘は穴鳥からフローレンスに歩きますが、亡命シーンは逆なのですよね。フローレンスのほうから。フレディ棄権で崖っぷちのフローレンスが振り向いたら亡命宣言した穴鳥が立っていた、という絵が印象的で、穴鳥が受け止めてくれたのか、フローレンスが防衛本能でそのクッション(笑)を逃さず捕まえたのか。
>なつみかん様
>「男女4人の恋模様の中で、フローレンス・アナトリー・フレディは
Pity The Childに見えたけれど、スヴェトラーナだけは違って見えたのが
印象的」
役割が違うからだと思います。その3人は、手を伸ばしても届かないものを永遠に求め続ける運命を架せられているのかと。コンサートの印象でフレディとフローレンスは似た者同士、剥き出しで傷つく心の持ち主で、永遠に彷徨うタイプかと思っていましたが、今回は穴鳥も同じであったと思いました。むしろ二人のキングが同じタイプで、フローレンスはもっと強い、包容力ある像に見えました。スヴェトラーナはウォルター、モロコフと同じ。与えられた「役割」を忠実に守り、自分の持ち場を放棄することはしませんもっと言ってしまうと、もがいたり、枠からはみ出すことを作品なり演出家なりに要求されていないのでは。
なぜ亡命したのか。一番ひっかかっていたところを一から整理してみました。
ヒントは二幕の歌詞にあるようです。すでに書かれている方もいらしたようにも思うのですが、私なりに。
「目の前の幸せに厭きたらず」石井さんが仰るように、家族関係はそれなりに幸せだった。
「何を成すべきか選択する自由」を頑なに守ろうとしたアナトリー。
どこにいても発言に気をつけなければならないような息の詰まりそうな国で、国家の威信をかけたチェスという競技のプレーヤーとして、ずっと厳しい環境で過ごしてきたアナトリーは、自由に憧れ、自由であることの執着心は誰よりも強かったと思われました。家族にも埋められない心の飢えが常にあったように思われました。
重圧が強くのしかかった試合の日に出逢ったフローレンスは、これまでに見たことがないような魅力の持ち主。そしてその先に見えた自由。
二つの魅力が、家族よりもはるかに勝ってしまった。二つとも手に入れたくて仕方なかった。残される家族の気持ちを考える余裕なんてなかった。その気持ちは、日本の自由な環境で育った私には考えられないほど、強いものだったんじゃないかと思いました。亡命してしまうほどに。
これで辻褄も合うのではないかと、なんとなく落ち着いたのですが、どんなものでしょうね?あ、答えなくていいです(笑)
あり?
いま見たら、最初の長文が載ってるけど、2番目は無い?
むむ、謎は解かねば!、、、って、コナンか!(笑)
まあ、でも、実のところ、私にとって「コナン」は「未来少年」。「名探偵」では無~い。
って、マンガからアニメに脱線してしまった・・・(笑)
あ、ウォルターが屈折キャラに見えたのも印象的でした。
ほよ?
さっきのチョー長文、反映されてない?かな?
ホテルのレンタルPCだから?長すぎてハジかれた?駄文すぎて??
ムキー!!と怒る前に、、、もう1回コメント~
ついでに感想ちょい足し。
人間chessマシーンが出てくるところに、子供の頃に読んだ少年漫画を思い出しました。
具体的に言うと、石ノ森マンガ(笑)。
あと、時折みていたコンピュータvsチェス王者(人間)のニュースも思い出しました。
って、毎度毎度、とりとめの無い事ばっかで、すんまそ~ん。では再びポチっとな~!
おはようございます♪
久し振りの書き込みですが、chess祭の大盛り上がりに圧倒されています。
凄いコメント数!(驚)
コメント内容までは読み切れませんが、chessへの熱い想いはヒシヒシと伝わりました。
デブ猫は東京公演へ行けず、悔しくて悔しくて。
いつの日か再演がある時まで待とうか、と思っていたのです。
しか~し!
今この時!このメンバーでこそ観たいのよ!確実なのは今だけ!
コンサートverさえ観ていないので
(国内外問わず)ミュージカル上演を観てファンになった人が多い訳でも無いのに
上演実績の全く無い日本でコンサート版の上演が積み重なっていった謎が知りたい!
等々の欲望に勝てず、密かにニンジャ猫と化し、大阪公演へ潜り込んでおりました。
いや~、ビックリ!とにかく音楽に圧倒されました!
レミゼの様な台詞も全て歌の演目とはまた違った意味で、歌ありきの演目ですね。
歌のプロが揃っている安心感にドップリ浸かり、幸せなひと時でした。
ありがとうございます♪
音楽に重きを置いているので、今回がコンサートverと言われても信じてしまいそう
な無知な私は回答編を拝読し、ただひたすら「へ~」
北海道ほどではありませんが、当地ではロシア(連邦)人は割と身近な存在ゆえ
(その血をひく人もけっこういて、肌の抜けるような白さにウットリ)
生の声や書籍で接する機会はありました。
崩壊してから大分たっているので、亡命に関して東側・西側それぞれの言動について
通説と事実とで違う、いわば答え合わせの様な期間も十分にありましたから
今の方がドラマ部分は描きにくいかもしれないですね。
公演プログラムを買いそびれたので今も無知ですが、こっそり感想をば。
コメントを読んでいないので、重複や対立があるかもしれませんが、ご容赦下さい。
男女4人の恋模様の中で、フローレンス・アナトリー・フレディは
Pity The Childに見えたけれど、スヴェトラーナだけは違って見えたのが
印象的でした。
アナトリーを見ていると
英才教育を受けた亡命者達の著書に、幼子が激しい競争に耐え抜く為なのか、
逃げ道となるヒトなりモノなりを与えられたり自ら見つけたりするくだりが
あった事を思い出したり。
代替品を卒業し自らの家族を持つ事で、精神的な孤児状態から脱していく人もいれば
ずっと彷徨い続ける人もいる・・・「あの人は私を知ろうとしないけれど・・・」
彷徨えるフローレンスが何を求めているか、、、アナトリーは彼女に後悔させたくなかったのね、
と思いました。
亡命しフローレンスと暮らしているアナトリーにスヴェトラーナが電話した時
彼女の口から出た言葉は
モロコシ、じゃなかったモロコフ(旅館に泊まると必ず卓上にモロコシがあるのでつい・・・笑)
の言葉、一言一句そのままだった、、、あのシーンが今でも心に残っています。
「私を駒にしたのはアナトリー、貴方よ!」
と言っている様に聞こえて・・・切なくて切なくて、、、もう溜まらん・・・
おはようございます。すごい、深まっている!
大事なこと2点思い出しました。
Endgameの序盤、
Anyone can be a husband or a lover sooner them than me.
私より早く夫や恋人になってしまう人はいない。
=私はいつもすぐにカップルになってしまうってこと?
(目に前の現実にのとこ)
後半も、
How you’ve hated my success!あなたは私の成功が憎いんだろう!
(なぜすれ違うのとこ)
スヴェトラーナだけに言ってるのか、いやでもそのまえは
フローレンスYou’re the only one who’s never suffered at all!!
あなただけ、なにも苦しんでいない!
(全て背負ったような顔してる)
だから2人にか。。
フローレンスへの愛については、カズさんの答弁を待ちたいと思います。
私は山で手をつなぐ以外に、うちのとうこフローレンスを幸せにしてくれた感は
ないので!
書いてるうちにまた増えてました(笑)
そうか〜フローレンスは、本当に愛されてたわけじゃなかったんですね。言われてみればそうですよね。フローレンスのことを知ろうともしてなかったし。アナトリーは自己嫌悪の歌うたってし。確かに国も家族のことも忘れたことはなかったようですし。
そんな気もしないではなかったけど、それじゃフローレンスがあんまり可哀想だから…って、私こそ理想を重ねて美化していたところかあったのかもしれません 。愛しあったというより、束の間肩を寄せあった二人という方がしっくりくるかも。
亡命はしてみたものの、心から幸せだと思ったことはなかった。そう考えた方が自然かも。家族を置いてきて、そんな気分になれませんよね。
また舞台がみたい!
まあ、一番ひっかかっていたのは、亡命に至るまでなんですけどね。
アナトリーのこと、私なりに理解できたと思っていたのは、砂の城だったようですみません。
わあ。またまた増えてた(笑)
あんまり沢山うだうだ書いたので、最後はかなりはしょって書きましたが、確かに亡命1年後の二人は、あまり幸せそうじゃなかったですね。
アナトリーは自分が他人にどう思われているか自覚していたし、罪悪感もあったでしょうね。フローレンスもアナトリーに不安を抱いてた。幸せだったのは、亡命直後からのほんのわずかな間だけだったんじゃないかと思います。
夢を追いかけてみたけれど、それは砂の城で蜃気楼だった。
ANTHEMの最後の歌詞、面白いです。英語でのアナトリー像は、かなり違ったものになっていそう。
こんなに観る人それぞれの妄想を掻き立てる舞台というのも珍しいし、そこがまた良いところなんじゃないかと思いました。
石井さんが詳細はグレーにしておいた方がいいと仰っていたのが、よくわかるような気がしました(笑)そしてまた舞台が観たくなりました。
す、すごい!増えている!(笑)
ブログ主を乗っ取って討論会上のような(笑)
私も重症患者1号様と同じで、亡命後(大使館から既に)フローレンスは幸せそうに見えませんでした。少なくとも舞台上で私たちが目にするのは、どこか遠くを見ている穴鳥さんに、不安を抱えるフローレンスでしたから。この機会なので白状します(あ~打ち明けよう~)今回のAnthem、初日に大嫌いになりました。フローレンスに二重の意味で残酷だからです。彼女は気持ちを捧げる故郷も持たない、そして目の前の人にはしっかりと故郷と家族が心にある。フローレンスの表情をばっちり見てしまったため、胸が締め付けられそうでした。非常に辛かった!(初日は特に、ブダペストで始まった効果か、フローレンス目線というよりフローレンスに完全になりきってました)数日後に観た時に印象が変わりました。というより初日はフローレンスの表情で涙が溢れ、Anthemの後半が見えてなかったのです(笑)故郷はどこにいっても変わらず、新しい出発なのかな?とも思えるようになり。また、この人と一緒に行こう、というフローレンスの決意も見えたので。
何が言いたいかというと、他の皆様の「短い間だけどフローレンスを愛し」などに驚いています。そうかあ、愛されてたんだ、と(笑)私は10月1日のアフタートークでカズさんの衝撃の発言を聞くまで、ミュージカル版はコンサートとストーリーが変わったに違いない(あるいは本来はこうだったの?)、穴鳥さんは家族が気になるから帰順したんだ、なーんだ、と思っていましたから(半分冗談ですよ)。愛とは疑うものなのです(笑)
ただここに書いたのは開幕から1週目くらいです。いつからか、10月3日くらいかな、あれ?何だったの?というくらいに印象はコンサートと同じものになりました。長々とすみません。
間違えました!
同じ空を今も見ているのとこ
↓
思い出の中だけにある
でした!