おはよう。葛飾区のとある病院の「45年前の看護婦長」と似た気怠い朝(笑)。ハロ~~~~!元気ですか~~~!俺は元気無くなるほどの余裕はないので元気だ(爆笑)。
週末の『One Night Collaboration』コンサートが、ヒタヒトと…いやドコドコと音を立てて近づいて来た。う~ん。俺はやること満載で、頭の中には歌詞を搭載し、昨日食べた夕飯は根菜だ(笑)。脳内は作詞モードなのでずっと韻を踏んでいるのね。
さて、昨日、看護婦長の「イヤな時間ね。ふ~」に様々なリアクションをいただき面白かったです。出生エピソードって楽しそうなので、今日のお題はそれにします。え?誕生日ネタは昨日でオシマイだろって?チッチッチッ。まだ気分はバースデーなんだよね。ふ~。( ´Д`)y━・~~
ちなみに、俺の「生まれた当時の面白エピソード」はまだある。おふくろが俺をオンブしたり、抱っこしたりして街中を歩いていると、かなりの確率で人から声をかけられたそうだ。やはり0歳でも遠距離対応顔だったのだろう。つまり、「声をかけてくれ!」と主張していたんだな(笑)。
「あら~見てみて!可愛い赤ちゃん!」
「アハハハ。ありがとうございます」
「すっごく可愛い!女の子ですか~?」
「いえいえ。男の子なんですよ…」
「え~信じられない。目がパッチリ!いや~ん、すっごく可愛い」
「いえいえ、それほどでも(うちの母…かなり良い気分)」
「っていうことは…お父さん似ですか…?」
「は、は、はい?(うちの母….ガビーン)」
実話です。それも何度もあったらしいです。でも、45年たったらモアイ像に最も近い日本人になっちゃいました。テヘ。(#⌒∇⌒#)ゞ
こういった誰にでもあるちょっとした誕生秘話を教えて欲しい。君の秘話でもいいし、ご兄弟のSecret Informationでもいい。言える範疇でいいからね。昨日書いて下さった方は、コピーして転載していただいても結構です。並べて一度に見たいからです(笑)。新たなネタがあったら、それも見たいです。4000g以上の面白体重075がいたらその報告も聞きたい。
オ・ネ・ガ・イ。ちなみに俺は2815gの小さめのBabyでした。
映画や小説でよくある「赤ちゃんを取り違えて育てて、後になって発覚する話」なんてないよね?もし本当にあったら心臓が止まるな。(T□T)
『Blood Brothers』は、双子の1人を泣く泣く他の家庭にあげてしまう話だったよね….。こんなのも現実にあったらツラ過ぎるね。。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。
さて、昨日、世界中から「Happy Birthday」メッセージが届いてね….嬉しかったのでご紹介します(笑)。
★ Happy Birthday / 可愛いニャンコ様より
http://www.youtube.com/watch?v=AelmBI0sJ3A
トップバッターはニャンコちゃん。早く見て撃沈されて下さい。俺は手足の力がぬけて海の底深くに沈みました….。ニャンコ、ありがとう。((^┰^))ゞ
★Birthday / ビートルズ様より
http://www.youtube.com/watch?v=BkUGeZ7CQco
世界のビートルズ様より「誕生日おめでとう動画」(笑)。ジョンがいないことに….いまさらながら深いため息が出る。でもポール様っていつまでもかっこ好い。
★Happy Birthday / スティーヴィー・ワンダー様より
http://www.youtube.com/watch?v=FchMuPQOBwA
あらあらスティーヴィー様まで。これは永遠の名曲でしょ!パーティーにかかせない逸品。スティーヴィー特集は、いつか全50回かけて執筆する予定。
★Happy Birthday / マライア・キャリー様より
http://www.youtube.com/watch?v=5tIwOgmm6YI
最後は感動のマライア・キャリーお姉様。神が与えたもうた美貌と美声….大大大好きです。こんなサプライズハッピーバースデーをされたら、一生マライア様の下僕として生きてもいいです………嘘です(笑)。
公平さんと2回目のリハに行ってきます。今週2度目のマッキンリー、登ってくるよ~。チャオ~~。
やっぱり人類史上最強の神アルバムですね〜♪ホワイトアルバムは。
『Birthday』でのポールとジョンのヴォーカルも、ジョージとジョンのリフも、リンゴのドラムも、全部ぜーんぶカッチョイイっす!!
ジョンとショーンの誕生日は同じってご存知でした?
♪You say it’s your birthday. It’s my birthday,too♪を地で行ってるんですよ。
ちなみに私が生まれた翌日が父の誕生日。惜しい!(笑)
子供の頃、大人から「まあ!パパとお誕生日が繋がってるなんて素敵ね」なんて言われても「フン!親子なんだから当然だっ」と思っていました(^_^;)
ショーンもパパと同じ日で嬉しいだろうな〜。
で、お題でした。
「(出産日は)松の内は絶対過ぎる。初産だから中旬近くになるかも」と言われ、ならば日劇ウェスタンカーニバルに行っちまおうか…と、企んでいた母の密かな愉しみを高笑いするかのように三が日の内に早々と出て来た私は、3300gで髪がフサフサの、やはり目が大きなベビでした。
看護士さんの「きゃっ!頭がDよっっ!!」の第一声に、我がママンは失神したそうです。
そう、私の頭部は右半分が押しつぶされ、「真ったいら先生に10000点!」状態で、まさにアルファベットのD文字の形だったそうです。
赤ちゃんの頭は柔らかいからと言ってもね〜(笑)。楳図先生も平伏す恐怖秘話です。
第一子なのでアルバム冊数は尋常でないわけで。
一冊目の1ページ目には誕生当日のおくるみに包まれた無垢なワタクシの大判サイズの写真が張ってあり、その下には父の字で誕生日時や体重が書かれていてるのですが、最後に『ベトコンの卵』という謎のワンフレーズが。
当時はベトナム戦争最中。
髪は既に生え揃い、ちとばかり浅黒く、目ばかりギョロギョロした我が子を前に、率直な感想を述べたに過ぎないのでしょう。
ええ、『ワタシ あの時 もう ベトコン』だったのです。
何故書いたか本人に問いただしても、「知らない。俺ぢゃない!」
見え透いた嘘をつくところを見ると、私の予想は当たらずとも遠からずでしょう。
こんなお粗末くんでよろしいでしょか?
2歳以降になると武勇伝が多々あるんですが、あ、それはいい?ではまたの機会ということで。
教授、今日も素敵な一日を♪
私の「おしめが取れないひよっ子時代」の話し・・・
生まれた直後にすっくと立ち上がって、
七歩歩いて天を指差し、
「天上天下唯我独尊!」と叫びました・・・・・・はお釈迦様。
皆さんはご両親様が待ちに待ったかわいいお嬢ちゃんの誕生だったので、
心暖まる秘話がいっぱいですが、
私は生まれた最初の日から、五体満足にもかかわらず、両親ががっかりした子と聞かされています。
そのことが小児期ずっとひっかかっていて、わざわざ遠くの医学部を選び、18歳で家を出ました。
子供は親を選んで生まれて来れないし、
「生まれてきてありがとう」と両親に思われたら、どんなに幸せかと思いますが、
そうじゃない不幸を背負った人もいる。
私は充分愛されたし、経済的に非常に恵まれて育ったとは思いますが、
私が長男に生まれなかったということだけを父がずっと悔やみ続けたのは、
ただ一つ子供時代の心の苦しみでした。
しかも、母乳の出の悪い母の代わりに乳母が母乳を飲ませ、
9歳頃まではお手伝いさんに育てられました。
私には息子が欲しい父に「哲也」という名前が用意されていました。
私の生まれた日、父はやっぱり女の子と聞いてひどくがっかりした上、
顔を見るなり「不細工・・・」と言ったきり絶句。
生まれてすぐの赤ちゃんなんて、顔くしゃくしゃは当たり前だと思うのですが・・・
もう私の人生最初の日に、「この子は不細工で嫁に行けないかも知れないから、
一生仕事して食べてゆけるように、医者か弁護士にしよう・・・」と思ったそうです。
そして、次も女の子だったので、また父はがっかりし、
私は男の子らしくしていると父が喜ぶことに早くから気づいていました。
ちなみに、私の名前は、クリスチャンだった祖母が、
「滾々(こんこん)と知識の泉湧く・・・以下略」の一節からつけたものです。
男だか女だかわからない名前だと、父が喜んでいたそうです。
よほど息子が生まれないのが残念だったのでしょう。
乳児時代は、いまじゃトキソプラズマ感染必至で信じられないけど、
ベビーベッドに猫が3匹、乳母車にも猫が3匹、
沐浴以外は24時間猫たちが寄り添い、
狼少年ならぬ、「猫娘」として育ちました。
しじゅう猫とだけ会話し、人生最初の言葉はボーンボーンと鳴る柱時計を指差し「にゃんにゃん」。
お釈迦様と大違い(笑)
それから数ヶ月たっても、人に興味を示さず、やはり猫語だけを話していたそうです。
猫と育てられた南荻窪の屋敷は、戦前は敷地内に馬屋と馬屋番の家があり、
陸軍少将だった祖父は、馬で現在の自衛隊市ヶ谷駐屯地まで勤務していました。
斜め向かいが祖父の同僚、東條英機さんのお屋敷。
この縁で、父は若干22-23歳で、東京裁判の東條さん付き主席事務官3人の一人として、
昭和23年12月23日、アメリカがわざわざ皇太子の誕生日を選んだ処刑まで付き添い、
東條さんに最後に「娘をよろしく」と言われたにもかかわらず、その方とは結婚せず、
かなりの晩婚で、私が生まれました。
私が生まれた、戦後昭和の真っ只中でも、
2階には早稲田の書生さん、3家族くらいが暮していて、お手伝いさんも2,3人いたようです。
とにかく、猫好きのお手伝いさんは、分け隔てなく、3匹の猫と私をセットで育ててくれたそうです。
ちょうど2歳でおしめを取ってみたら、ただの一度も私がそそうしないので、
その後30年、その事が両親の一番の自慢でした。
(他に自慢することないのかいっ!!)
3歳で一人で映画館通いを覚えるまでは、両親にもあまりなつかず、
やはり猫としか会話しない変な子だったので、
「自閉症」を疑われて、さんざん、退屈な知能テスト、行動テストなどを受けさせられました。
簡単すぎて頭が腐りそうでした。
その後お受験で入学した名門幼稚園でも、お遊戯とか工作とか、くだらないからすべて拒否。
1日おきに車で送ってもらって、幼稚園に重役出勤。
お教室の隅っこで5歳頃からは連載小説を書いて暇つぶししました。
教授、ご機嫌さんでお帰りですね!
リハ、お疲れさまでした。
今日(^^;)の報告、楽しみに待ってます。
誕生秘話ってほどのことはありませんが。
12/30に実家で餅つきが終わった後、タクシーで帰宅してた母は破水してしまったそうです。
で、家に戻って病院に電話すると入院を勧められたから、雪のちらつくなか病院にえっちらおっちら行ったんですって。
私、入院してすぐには生まれなかったんですが、なんせ破水してるんで難産になるとメガネをかけた看護婦さんに云われたそーです。
が!あにはからんや。
私、あっさりツルンと生まれたんですね~。ツルンって。
看護婦さんのメガネがどうなったかおわかりですね?(笑;)
それでツルンと生まれたわりには泣かなかったので、母は死産かと焦ったって云ってました。
ちょっとしてから大声で泣く声がしたので安心したそうですが、たぶん、私も逆さ吊りの刑に処されたと思われます。
命名ですが。
母は「優子」って付けたかったらしいんです。が祖父が「名前負けするからダメ」と今の名前を付けてくれました。
それを小学生の頃に母に聞いて、一度は納得したんですが、
「いや、待てよ、じーちゃん、優子やったら違った人生が私にはあったはず!」って思ったことは誰も知りません(笑)
で、私、妹がいるんですが。
2才7か月にしてすでにご近所さまのガキ大将だったワタクシ、母は妹がお淑やかな子になるようにと今もご活躍の美人で清楚な女優さんの名前を付けました。が、現在、彼女がそーかと云うと…。
ってこんなんでいいんでしょうか??
おメメくりくりぱっちりで女の子に間違えられるって!!
そのお写真、見てみたいっ!!んで公表しません?
誕生秘話……
私は逆子で未熟児でした。しかし神様は私をどうにかしてこの世に送り出そうとしてくださったようで、母が出産することになった近所の病院にたまたま逆子の権威がいたんだそうです。
定期検診のたびに直しても直しても逆さまになる私…権威先生はガハハと笑って「大丈夫大丈夫」。
いざ、出産の時、やはり私は逆さまでした。脚から出て、首にヘソの緒が巻きついた状態で息をしていない私。緊張が走りまくる産室。足首をひっ掴んで私を引っ張り出した権威先生は私をそのまま逆さに吊るし、背中といわずお尻といわず平手でバシンバシンバシン。スイッチが入ったようにドギャーと泣き出す私。歓声を上げるスタッフ。
おかげさまで今の私があります。権威先生に感謝。
こんばんは
かずさん、もう爆睡されてますよね。
良いのが出来そうですか?
27日まで、もうすぐ頑張れ!!ファイトだ(ToT)/~~~
誕生秘話あります。(私なんですが..)
生まれる前から、危ないと言われ..予定日よりひと月前に生まれてしまって、本当は一学年下なのに、現在の友達と一緒の学年に.誕生日も一番最後です(当たり前やん..)
父とご対面「うわ...猿みたいやん..」失礼な!!..
でも、私かなり危なかったらしく…先生からは、いつなん時でも病院から電話があれば覚悟しといて下さいと言われたらしく..(ご心配かけてすみません)
母は先に退院して、ひと月後に私が….ちゃんと規則正しい生活をしていたので、良い子ちゃんだったそうです(イヒヒ..)
赤ちゃんの時の記憶は、まったく無く(当然だ..笑)
一歳ぐらいの時に母が、実家から帰宅する時に会社帰りの伯父さんが...
伯父さん「わ。。。目もパッチリで可愛いなハーフみたい」母かなり嬉しい。
その時に、大きなクマのぬいぐるみを貰ったそうです。
内心、母は、こんなデカイぬいぐるみどうやって持って帰れと(@_@;)
母「父にSOS…」
成長すると、男の子以上に暴れんぼうに、デパートで床に寝そべって読書をしていて親は、静かに本を読んでるからほっといたらしく..他のお客さんに、家と間違えてるのね(ほほほ!)
両親「(ー_ー)!!」
タイツを履いていて、少しの穴だったら直せるのに、指をぐるぐるして大きな穴にして修復不可能にしてしまう暴れん坊だったそうです。
なので、弟を育てるのが、凄く楽ちんだったそうです。
今でも、私の悪党ぶりを言われる。やれやれ!!
初対面の方にはハーフですかと言われる私…何か。
かずさんを目パッチリですよね..まつ毛も長い..私もです。
長々とすみません。
おやすみなさい。
祝☆誕生日☆週間の教授こんばんは☆
可愛いベイビちゃん=女の子…何故でしょうね?褒め言葉のように使っていたかもしれません。
ワタクシ教授の3分の1の体重極小仮死状態、早とちり出とちり7ケ月で出てきてしまったうっかりさんです。
自力呼吸するまで逆さ吊りの刑やら水浸しの刑にあい、力なく…o..gyaaa..と泣き呼吸~一度は生還~その後母子ともに恍惚の三途の川に溺れ、自ら黄泉の帝王にキスを求めるも「マッダ~ハヤスギルウ~~♪」と拒否られ(爆)こっちの世界からはアホ~~!! 何やっとんじゃ~戻って来んかいぃ!!~来んかいぃ!!~の声で蘇ったとか…
全く記憶にないです(・∀・)
パパ・ママ諦めずに命がけで産んで育ててくれてありがとう(=^0^=)
生きてるだけで丸儲け~ホンマおおきに !! だってこんなに楽しいんだもん♪
因みに今は普通サイズ、反抗期知らずに素直に生きてきました(*^_^*)でへ
のろくた書いているうちに石井さんご登場。お疲れ様でした。
あのう…すみません。ひとつ突っ込みさせていただいても……(//_//;)
ピルエットでは前へ進めないのですっ!!!
石井さん、頂上で延々と回り続ける羽目になり、そのうち目を回して「おむすびころころ」の如く落ちてしまうでしょう。
回転で下山したいなら、ピケか、シェネか、ワルツステップで!
もっと気持ちよくジャンプなら、グランジュテをお勧めします!(爆笑)
し、失礼致しましたっ!!シュタッ
世界中から一孝さんに届いた「Happy Birthday」メッセージ 聴かせていただきました(^^)
可愛いニャンコ様に、すっかりやられて癒やされました(≧∇≦)
撃沈…☆
こんばんは。
リハーサルからお帰りなさい。
2度目のマッキンリー登頂はいかがでしたか?今日はいいお天気だったので、きっとこの前よりもきれいな景色が見られたことでしょう♪
誕生秘話ですか。そうですね…
私の出産予定日は、1月1日だったそうです。入院する前に母が気合いを入れて大掃除をしたら、早く出て来たくなったらしく、その夜中に陣痛が来てしまいました(汗)
「パパ、お腹痛い!」と母が一言訴えた瞬間、寝起きの悪い父がその時だけ飛び起きたそうです(笑)
でもなかなか生まれて来ず、途中で陣痛が治まってしまったとか。生まれる前から詰めが甘い性格だったようです(-“-;)
母「看護婦さん、お腹痛くなくなっちゃいました…」
お腹の中の私「あ~あ、長いから疲れちゃった。ちょっと休憩~」
看護婦さん「ダメ!絶対ダメ!もう無理矢理でも出すわよ!」
陣痛促進剤を飲んで、ようやく出てきたとか。12時間くらいの奮闘でした。
その後、寝ているところを見た時。上唇がぷっくり「富士山型」なのを見て、
「げっ…パパそっくり……私があんなに苦労して生んだのに」だったらしいです(爆)
泣いてばかりで人見知りも激しく、ものすごく手のかかる子供だったと今でも聞かされます。
母の体から離せば、たとえ寝ていてもパチッと起きて泣き出すので、ベビーベッドを一度も使わなかったそうです(驚)日中は「おぶい紐」でずっとおんぶ。トイレの中でもおんぶ。運転中は膝の上(@□@;)
寝る時は猿の子みたいに母のお腹の上でうつ伏せ、ちょっと重くなってからは隣で抱っこしていたおかげで、今もうつ伏せか横向きで寝ます。
そして面白エピソードといえば。
私が初めて発した「あー」とか「うー」ではない、子音を伴った言葉が「タ~タ~」でした。
その「タ~タ~」を父は何故か「パパ」のことだと思い、泣いて喜んだそうです。
後のちの母子の会話。
私「確か小さい頃、靴下のことタータって呼んでたよね?」
母「うん。幸せな勘違いだと思う。でも本人は信じて疑ってないから…」
母と私「………( ̄▽ ̄;)」
「タ~タ~」の正体は迷宮入りとなりました。
ここまで読んで下さった律儀な石井さん、ありがとうございましたm(_ _)m
私もパッチリおメメの一孝ベイビーちゃん見てみたいです(*^▽^*)
モアイ像って!いえいえ、今でも間近で見る石井さんはパッチリで端正ですよ。ご安心を。
教授、今日もリハーサル、お疲れさまです~!!
世界中からのHappy Birthdayありがとうございます~。
続けて聞いてたらなんだか自分がお祝いされてるような気分
になりました(^.^) お誕生日の曲はどれも楽しいですね。
世界一暗いX’masソングを作った教授ですから、どうでしょう
次は世界一暗いHappy Birthday ソングを作られては?(笑)
さて、お題。
私は母が病院に向かう車の中で待ちきれず母の体を脱出しかけ
ていたらしいです。その後は安産だったとのこと。雨でした。
未熟児寸前のガッツ石松型。髪、ほぼ無し。おとんが友人と
考えた変わったやたら字画が多い名前をつけられる。喋れるよ
うになると兄との違いに「なんで~?」「なぁなぁ、なんで
うりぼうにはないの~?」としばらく”なんで攻撃”を続けてい
たらしい・・・・・男と女の違いを知る前の話です(爆)
目力のある髪が薄く男らしい顔の赤ちゃんでした。ピンクの
服が似合って無いんだした(残念!) 完
久しぶりにアルバム見ようかな~。
まあ!凄い!
先日は滑落しかかっていたマッキンリーを、ツーステップで登ってピルエットで降りたんですか!?
はい(`∇´)ゞ明日を待ちます!
でも良かった♪
一度見たことがある映画等、結末はわかるのに、途中経過が思い出せないことがあったりする私は、バカじゃなかろうかと思っていましたが、どうやら石井さんも同じ…違う?
kazuさん!
こんばんは!ケイです!
公平さんとの二度目のリハお疲れ様でしたm(_ _)m
kazuさんの新生児秘話!!
赤ちゃんの時からデッカイお目目やったんですね(^-^)
顔の面積の半分は目だったのでしょうかσ(^_^;)?
いや!!
ちっちゃめベイビーだったと言う事やから身体の半分が目やったんかな?( ´艸`)
きっと赤ちゃんの時からハンターの眼差しで自分好みの075を見つけては「僕を見てっっっ(*^.^*)」って尖り唇もしてジ〜ッと声をかけてくる075を見てたんでしょうねぇ〜( ´艸`)
すんげぇ〜眼力でよっ( ̄◇ ̄;)
アタシの誕生秘話!!
色々有りますが…。
●先ずは、アタシは父親40歳・母親38歳の時に出来た三人兄弟の末っ子なのですが、母親が妊娠検査に産婦人科に行った時、先生に「アンタもう歳だし上にも二人子供居るんだからこの子でやめとけよ」と言われたいわゆる打ち止めの子ですぅ〜(-“-;)
●次に、お腹の中に居る時、へその緒を首に一重巻き付けた時が有ったそうで母親はへその緒で首絞めたらどないしよって思ってヒヤヒヤしてたみたいで先生に対処法聞いたら「その内、自分でどないかするやろ」と…。
そんなんでえぇ〜んかい( ̄◇ ̄;)
●そして、寒い寒い小雪の舞う夕暮れ時の17:15頃に元気に産声を上げ無事に生まれたコザルの様なアタチ…(*^.^*)
っとそこまでは良いが…。
その日、生まれたのはアタシの他に男の子が二人!
っで、一人姫だったアタシは王子二人の間で川の字で新生児室で寝かされてたそうなんですが…。
ここからが問題(≧ω≦)b
出生後〜二階の病室で寝る母親の耳に常に入って来る「ウギャ〜ウギャ〜」とけたたましく泣く赤子の声に母は「うるさいなぁ〜(–;)いったい何処の子やねん」と思っていたそう。
それから暫くして泣き声もおさまり産後の疲れた身体を休めるべく寝ようかと思った矢先に先生が一枚の紙をヒラヒラさせながら病室に入って来るなり「アンタとこの子あんまりにもうるさいからもうミルクやっといたから〜!!ハイ請求書」とミルク代の書かれた請求書を手渡されたそう(^_^;)
今はどうか知りませんが当時は生まれて直ぐにミルク飲ます様な事はしちゃ〜いけなかったらしいのですが、どうやら、アタシの産声とその後の泣き叫ぶ声は「腹減ったぁ〜ミルク飲みてぇ〜ヽ(*`Д´)ノ」の合図だったようですぅ〜σ(^_^;)?
それから、次の日か?母方の祖父母が母の見舞いとアタシを見に来た時の事…(–;)
祖父母が一階の入り口から入って来るなり奥から聞こえてくるけたたましい程の泣き声に祖父は母同様「えっらいうるさいなぁ〜(-“-;)」と思いながら母の居る病室へと上がり母と対面した途端、「えっらいうるさいなぁ〜。いったい、何処の子やねん」と一言…。
母は即座に「うちの子です(–;)」と…..(^^;)
そして、その一言を聞いた祖父は「流石!ワシの孫じゃ!!子供はあれ位元気やないとアカン!!!」と言うたらしい…..(^_^;)
ったく!(-“-;)
母も母だか、爺ちゃんも爺ちゃんだなっ( ̄◇ ̄;)
それから、母と祖父母は一緒に新生児室へアタシを見に行ったそうなんですがぁ〜、川の字で横たわる新生児の内、両端の王子二人は寝息も静かにスヤスヤと寝てる中、アタシは相も変わらず「腹減ったぁ〜!ミルクくれぇ〜〜」と言わんばかりにジタバタしながらウギャ〜ウギャ〜とけたたましく泣き叫んでたとさっ┓( ̄∇ ̄;)┏
めでたし!めでたし!!
って全然めでたないわぁ〜σ(^_^;)?
請求書事件はアタシも誕生日を迎える度に未だに聞かされますぅ〜(^_^;)
他にも退院後の話しとか有るんだけど今日はこの辺で…..(^-^)/~~
チャオ〜(^O^)/
私が生まれた時、父は出張中でした。
宿でお酒を飲みながらTVを見ていた父に、病院から女児誕生の連絡が。。
看護婦さん「生まれましたよ。女の子です」
その時父が見ていたTVに、ひとりの可愛らしい歌手が写りましたとさ・・
父(ほろ酔い)「あーー、今TVに出ている人、名前はこれ!○○○にします」
看護婦さんから伝言を聞いて「じゃあそれで♪」って、のんきな母(爆)
実話です。。
さらに・・・
おでこが顔の半分を占め、糸をひいたような目はおでこの下に埋まり、
頬の狭間に低い鼻・・・(もーれつア太郎のデコッ八か?!古ッ!)な赤ちゃんだった私(笑)
アルバムも、色白で目パッチリな可愛いい赤ちゃん・・だった兄は(今は普通のおじさん!笑)幼稚園にあがる時点で3冊!
それに対し、私は1冊めでランドセルを背負っていました。。^_^;
膝に抱いたデコッ八の鼻をつまみ「高くなれ~~」と呪文をかけながら父は言いました。
「いいか、女は愛嬌だ!」(爆)
そんな私はグレることなく、のびのびと愛想のいい子に育ちましたとさ・・・おわり
かずさんは、目パッチリの第一子♪ さぞかしアルバムもいっぱいあることでしょうね~♪(*^。^*)
にゃんこのHappy Birthday♪撃沈されました(笑)