あの大震災から半年が過ぎた。
でも我々の記憶はあの日のまま止まっているので、時間がたった気がしない。
そう。あの日。石巻に住む大学の親友が心配でならなかった。俺は舞台の公演で名古屋にいたのだが、何度メールしても電話をしても連絡が取れず不安な日々を過ごしたことを思い出す。あの日から数日後、やっと来た短いメールに「奥様や子供達やご家族の命は無事であったこと。残念ながら家はすべて流されてしまったこと」が書かれていた。楽屋で一人こらえきれず流した涙を俺は忘れない。
少しずつ復興が進んでいる東北地区だが、あの美しい街々が元通りになるにはまだまだ気の遠くなる時間とお金が必要だと思う。これからも「自分でできることを出来る限り無理をせずに」やっていきたいと思う。
「自分のできることが誰かのためになるかもしれない」から。
今、俺にできること。
博多でアラミスの人生を生き、歌い、演じること。
今日も行って来ます。
カズさん、こんにちは(^^)東北大震災から半年なんですよね。早いです。私もあの時の事は忘れられません。幸いにも家族は皆無事でした。ただ、仙台の友人達となかなか連絡が取れずヤキモキしましたが無事で安心しました。
会社の取引先が東北地方に多いため連絡の取れない会社もあったり、原発で避難区域に会社が有るため従業員とその家族全員で移ってきた取引先もあります。
お母様とお兄さん夫婦を亡くした職場のおじさんもいます。辛いはずなのに、毎朝一番大きな声で「おはようございます」って入ってきて普通に仕事してました。
ニュースや新聞を見るのも辛く目を背けてしまったこともあります。計画停電で勤務時間が変わり、たった数日だけなのにヘトヘトになりました。でも「被災した方々は、もっと辛く厳しい生活をしているのかだからこんな事ではダメだ!!」と思い気持ちを入れ替え「普通の生活が、いかに大事なのか」と痛感しました。
ここまで来たら、また私も書かざるを得なくなる気持ちになりました。
あの日、カズさん達がゾロの公演を続行していた事は、後日習っている歌のスタジオの所属しているアンサンブルの出演者(現在カズさんと共演)が教えて下さいました。
ちょうど坂本くんの出演シーンだったとの事で、先生と「キャストのみんな大丈夫だったの?」と心配してたのを覚えています。
私はちなみに当日2時間かけて徒歩帰宅しました。
3.11から10年目の9.11をへて今日まで、
色んな思いはありますが、言葉にしようとすると難しいですね。
今日を生きることが、ささやかでいいから誰かの希望につながっていきますように。
そう思って生きていきたいと思います。
本日は1回公演ですね。博多のパリへ行ってらっしゃい(^^)ノシ
おはようございます。
今朝の東京は晴れ、真夏日になるそうです。
私がお世話になっている美容室に、
甲子園に出場した事がある元球児がいます。
県予選決勝で投げて優勝。
その後、小さな子供からお年寄り…老若男女からたくさんのお手紙が届き、
その手紙のほとんどは、彼の頑張りに力を頂いたとか、
感動をありがとう等、感謝の言葉だったそうです。
石井さんの仕事は、多くのかたに力や希望を与える事が出来ます。
多くのかたが導かれるよう、
いつまでも光輝いて下さいね。
それでは、今日も頑張って行きましょう。
おはようございます!
大丈夫ですか?
2回公演お疲れ様でした
中秋の名月
見る余裕ありました?
石井さんのされてきたこと
ちゃんと誰かのためになってましたね
劇場に来られた、あるいはブログを読まれた多くの方に
石井さんの思いはしっかり届いてます
さて
気持ちの充電はできたと思われますが、身体の方が心配なところ
頑張れ〜石井さんの身体!!
そしてブログをされてないので、写真でしか様子を伺えないさとしさんの身体も大丈夫だろうか?
頑張れ〜!!
アラフォー戦隊三銃士!
今日も華麗な剣さばきと美声と朱色のほっぺと白い手で
観客を魅了してきてください!
それでは
お気をつけて!
いってらっしゃい!!
こんばんはo(^-^)o kazuさん♪
昨日は 終演後の募金活動、お疲れ様でした。m(__)m
ひとり一人の方に優しい眼差しで「ありがとう」と声をかけていらっしゃる姿が
胸に焼き付いて離れません…。
kazuさんが ここに書かれているような気持ちでいてくださることが
とても嬉しく、支えられます。
3月11日。
自然の猛威の前に為す術もなく立ち尽くし、ただただ涙を流すことしかできませんでした。
そしてそこには、
朝まであったはずの幸せを
一瞬のうちに奪われてしまった人々の姿がありました…。
「今、私にできること…。」
「私たちは微力だけれど決して無力ではない…。」
あの日と関わっていくことで
私自身の生き方が変わったような気がしています。
そして、私の背中を押してくださったのは
他ならぬkazuさんでした。
ありがとう!kazuさん。
心から感謝します。
それがkazuさんのお仕事の素晴らしいところだと思います。
……あれから半年。
街中で義援金の募金活動をする姿を見かけることはなくなりました。
自衛隊もひきあげ、民間やボランティアの力が必要とされています。
これから始まる復興への長い道のり。
今、私にできることは何だろう…。模索中です。
とりあえず、私は今、自分の仕事を一生懸命頑張ることにします。
それが復興への一助になることを信じて。
悲しいけれど、命には 終わりがあり
私たちは
あの日亡くなった方々が
生きたかったはずの今日を
生きています。
カズさん、こんばんは。
最近は夜になると、草むらから、虫の鳴く声が、優しく聞こえてきます。今夜は、十五夜。月の光がそれらを包み込むように照らしています。
………。
あれから、半年…。
あの時、私は小学校の校舎の4階で、子ども達と帰りの会をしていました。
標本の溶岩石は、棚から落ち、教卓からは、クラスの子ども達全員に返すはずの交換日記がなだれ落ち…。
いつ、教室を出ようか…。階段の途中で、さらに大きく揺れたらどうしよう…。泣いて動けない子どもを抱えて…。
たくさんのことが頭をよぎっていたのを覚えています。そして、出した結論は、ランドセルは置いたまま、整列して避難しました。
泣いて動けない子どももいましたが、私が抱えるでもなく、子ども同士で、励ましあって一生懸命に私についてきてくれました。 (励ましてあげていた子ども達は、避難場所に到着して…、お母様を見て…、安心して…大泣きで。自分たちだって不安だったのに、泣いている子を励まそうと、自分の不安を後回しにしていたのでしょうね。なんて優しい子達、強い子達だろう。そう思いました。)
幸い、山梨県は大きな被害にはなりませんでした。しかしながら、私の小学校からの友達が福島にいて。
カズさんのように、私も連絡がつくまで気が気ではありませんでした。
幸い、連絡は取れましたが…。
でも、無事と言えない方ももちろん、いらっしゃいます。こうしている間にも、不安を抱えていらっしゃる方、深い悲しみを抱えていらっしゃる方…。
私にできることは…。
カズさんが、歌ったりすることで努力なさいますように、私は、被災地から引っ越した子どもの勉強を見ていました。私の関われる子どもはほんの僅か…でも、出逢えた子どもには、少しでもいいから、あたたかい気持ちになってほしくて、あまりよくないのかもしれませんが、毎日、おやつを作って持参していました。
ひとりはみんなのために。
みんなはひとりのために。
この言葉に私は小学3年生の時に、担任の先生を通して、出逢いました。
どうぞ、三銃士カンパニーの皆様、最後の公演まで、お疲れのところ、申し訳ございませんが、何卒、義援金活動をよろしくお願いいたします。
追伸…皆様の優しい気持ちはきっと、被災された方の支えになっていらっしゃるはずです。