何かがちがう。
うまく言葉にできないけど、他の舞台とは何かがちがう気がする。
空気。世界観。色彩。手触り。
こんな不思議な作品って本当に珍しい。今までいろんな作品と出逢ってきたけど、尾をひくような感じかな?きっと見て下さっているお客様も同じ気持ちじゃないかな?なんなんだろう?誰かうまく理由とか原因とか説明して!
なんと演出のオギちゃんは大阪の3公演を含む全公演を見てくれている。
現実的には初日が開いたら、演出家さんは他の仕事先に行ってしまうことが多い。もちろん状況や演出家さんのタイプにもよるけど。それにしても全公演だよ!すごい体力と精神力だね!
演じている側が言うと変かもしれないけど、お客様の体力消耗選手権があったら3位には入る『蜘蛛女のキス』を全公演見るというのは相当な気合いがいる。まあエネルギーの塊のオギちゃんだからできるワザやな。
でもそれがとってもありがたいんだ。袖で愛しい笑顔で「行ってらっしゃい」って見送ってくれる荻ちゃんの存在がこの作品の隠されたパワーだと思う。キャストとスタッフが一丸となって我が子を大切に育てている気がするね。
それもこれもあと3日。4公演。
悔いの無いように演じたい。
大好きなモリーナを。
大切なヴァレンティンを想いながら…。
初演時、1カ月は引きずりました。
何をしていても常に精神が、身体が、蜘蛛の糸に絡まっているかのように。
こんなの初めてだ!((c)バレンティン)と思いました。
苦しいようなせつないような辛いような朦朧とするようなこんな気持ち…オーロラ、助けて!
…こう書いていてわかりました。自分で引いたラインを踏み越え、恋に殉じることを選ぶモリちゃんの壮絶な生き方に、感情移入し過ぎているからなのかもしれませんね。
そして幻と現実の境目が曖昧なこの舞台は、私たちの実生活の現実の中にまで幻を取り込んでしまう…その中毒性はモルヒネどころじゃありません。依存性も高く、一度溺れてしまうと二度三度と…これは人によりけりですか(笑)。
ただ、確かに間違いないのは、この演目肉体的な消耗も激しいこと。昼夜2公演観てこんなにフラフラになる演目はありませんよ。観ているだけでこれだから、演じている側の大変さはいかばかりか。
残り3公演、内野席(って1階席のこと?…笑)で見届けさせていただきます。劇場内に張り巡らされた蜘蛛の糸に囚われる最後のヨロコビをかみしめつつ。
瀕死のプリンセス・・・・・お休みなさい。 (_ _).。oOzz
明日に備えて、ゆっくり休んで下さいね。
2回ある準決勝!!勝ち進んで下さい。
モリーナの人生や最期が幸せだったのかどうなのか?
いくら考えても答えが出せずに、心の底にいつまでも残るザラザラした感情。
答えが出ないからといって、諦めたり忘れたりはせずに、
時々思い起こして、懐かしんだり暖かくなったり、悲しんでみたり。
嫌な感触ではない異物感を、いつまでも抱えていられるのがこの作品の特徴で
他の作品にはないところなのではないでしょうか?
では、その異物感とかザラザラした感情とは何ぞや?
と問われたら………わかりませんがな(笑)
この私が言葉でハッキリと答えを出せる様だったら、
ここまでこの作品に心魅かれはしなかったでしょうね。
また、見ちゃった・・・仕事中なのに・・・
また、来ちゃった・・・ココに。仕事中なのに・・・
見ちゃったって、演出家さんのblog。
もう涙・涙・涙。今日は大型マスクしててよかったゼ。
で、スクロールダウンして一個前のエントリ。
なんか、行きたくなってきたじゃないかー。二丁目に。
呼んでるぜ、二丁目が。仕事終わったら行ってこようかな。近いし(爆)
そして今宵、風邪っぴきの私は「BAR蜘蛛女」を探して二丁目を
彷徨うのでした・・・
Fin
⇒ 自己完結?
ふざけてるのはね、ふざけてるのは・・・もうしばらくモリちゃんに
逢えなくなるんだ、っていう悲しみを忘れるためなの。
わかって・・・お願い。(涙)
心配しないで教授… 公演期間は短いけれど この作品に出逢えた幸せは 観客の胸に残り続けるから…
以下、めちゃくちゃネタバレ注意…
荻田先生のブログを読んで、また一つヒントをいただけた気がします。あくまでも、私の想像ですが…。
「まず、グァバペーストを…」…このシーンも大好きなんですが、最初はママ→モリーナの順でセリフを言っていますが、途中でモリーナ→ママ…に変わりますよね。モリーナのセリフもヴァレンティン中心ですし。
私は、モリーナの愛がヴァレンティンへ…ママへの愛を越えたんだ…と解釈していました(←だからラストにヴァレンティンのために…を最優先するんじゃないかな…って)。
が、更に…ママのセリフをなぞっているという点で、モリーナに目覚めた母性愛も表現されているのかなぁ…と。
うーん…まだまだ発見ポイントがありそうです。
演出家さんのブログでうっかり泣き、こちらに来てまたしても泣く通勤中。
ものっすごい怪しい人ぢゃん。
今はただ無心で、ラスト観劇にむけて集中力を高めます(^^)
深い感動は、言葉を奪うことを知りました…。言葉に置き換えてしまうと、どこか違っているようで…、思いを言い尽くせていないようで…。
この感動を、心の深いところで大切に抱き締めていたいと思いました…。
「魂」なんて、日常から離れた言葉を使うのは気恥ずかしいけれど、他に言葉が見つかりません。心よりもっと深く、存在の根源に関わるもの……「魂が震える感動」……私にとって『蜘蛛女のキス』は、そういう作品です。
kazuさんに納得してもらえるほど、うまく説明はできないけれど、『蜘蛛女のキス』が、多様な見方を許容する懐の深い作品であるという前提で、私の感じたことを書いてみます。( ..)φ
キーワードは【共鳴】です。
私にとっての「違い」は、他の作品の主人公が「他者」であるのに対して、モリーナは「内なる自分」であるということです。
人は皆、不完全で未完成な存在だから、誰しも心の内に、「認められないかもしれない自分」や「受け入れられないかもしれない自分」を抱えて生きているのではないでしょうか。私にとってはその「震える自分」が「モリーナ」です。
社会生活を送る上では、ありのままの自分でいるわけにはいきません。未熟なところやわがままなところ、ちょっと変わっているところを上手に隠して、周囲の人と協調しながら過ごしています。そういう意味では、「ありのままの自分」を無条件に受け入れ、愛してくれるのが、母親しかいないモリーナが抱えている「孤独」は、誰のうちにも存在するのではないでしょうか。
でも、人を愛したら、その人の前では偽りのない「ありのままの自分」でいたい…。未完成な「ありのままの自分」をまるごと愛して欲しいと願います。
そして、それが叶えられた時、「ありのままの自分」をまるごと受け入れてもらって、愛されたときに、人は「孤独」から解き放たれるのではないでしょうか…。
モリーナは誰の心の中にも存在する「孤独」であり、未完成な「ありのままの自分」であるのです。
それ故、感動が外側から魂を揺さぶると、内側から「内なる自分=モリーナ」が、それに応えて魂が【共鳴】するのです…。長い余韻をもって…。
長くなってしまいました…(ToT)。そしてやっぱり、言葉では伝えたいことの半分も表現できませんでした…。m(_ _)m
ゴメンナサイ…。
>大切なヴァレンティンを想いながら…。
この一文で、今、PCの前で、ホロホロする涙をパジャマの袖で拭っています。 ← ハイ、アホですっ(笑)
恙無く、良い舞台となりますように。カズさん・・・・。
『何かが違う 宿題』公演が終わってからゆっくり考えてみますね。
お疲れさまです(^^)
石井さんご自身で答を書かれてるじゃないですか!
>荻ちゃんの存在がこの作品の隠されたパワーだと思う。キャストとスタッフが一丸となって我が子を大切に育てている気がするね。
それが客席にも伝わってると思いますよ(^^ゞ
荻田先生は、ご覧になられた後で感想というかダメ出しや褒めて下さったりするのですか?
悔いなく演じきれる事を願って、ううん、信じています。
寒い日が続いていますので、お身体に気を付けて下さいませね(__)
納豆とオクラとめかぶを良~く混ぜたものを蜘蛛の糸に絡ませてできた巣に、うっかり引っかかってしまった観客な感じ?…いや違う(^^;)。
♪教えて~オギーさん~ 教えてオギーさん 教えて~~~蜘蛛女のキスを~…と、アルプスの少女ハイジの曲に載せながら伺いたい気分…。
モリちゃんが言ってますよね「好きな人の事は何でも気になるものなのよ!何でも知りたいって思うの」…そんな感じ。恋だわ恋っ!「蜘蛛女のキス」荻田版に恋してますわっ!
あ…でも荻田先生はきっと「愛よ…お馬鹿さん…愛…」って言うかしら?