「腰抜けと呼ばれても」「タッチーへの想い」
どちらも胸が詰まる美しく切ない秀逸なメロディーだった。感情を波立たせる旋律に感動でいっぱいだった。
10月の初めに『愛と青春の宝塚』の顔合わせに来て下さり、「お~、この方があの『津軽海峡冬景色』の作曲家なんだ」と会釈だけさせてもらった、それだけの面識だが、、三木たかしさんの旅立ちには切ない想いに沈んででいる。
俺の「影山わたる」を見て欲しかったなあ。りゅうたんを、タッチーを、トモを、べにを、オサムを、速見中尉を見てもらいたかった。
声が出なくなる前に自分の声をレコーダーに録音しそうだ。涙が出る。今思えば顔合わせでも一言も発しなかったのはそのせいだったんだな…。
たかしさん、あなたの声もメロディーも永遠ですよ。決して消えて無くなることはありません。
安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。
ふと気付けば…来週の今日(金曜日)は、もう初日ではありませんか!石井さんは、身も心も~すっかりロード警部なのでしょうか(^^)?楽しみにしています♪
書き忘れ☆。ライブ申込みもしました〜\(^o^)/。そちらも楽しみにしています。
先日、テレビで三木たかしさんの追悼番組を拝見しました。岩崎宏美さんが「思秋期」を歌っていらっしゃいました。本当にたくさんの歌をお作りになり、たくさんの人に愛された方だったのですね。残念です。
テレビと言えば、昨日夕方、お休みでテレビを見ていた夫から「あ~!」と叫び声。駆けつけたら(^O^)、浅丘ルリ子さんが映っていらっしゃいました。残念ながら赤津崎教授のお顔は惜しいところで拝見出来ませんでしたが、ポスターが映ったところで夫と「これこれ!今度すぐそこで見るの、これ!」と大いに盛り上がりました。
東京公演最終日が私の初日。それまで教授のお姿を拝見出来る日を指折り数えて楽しみにしています。
三木たかしさん、素晴らしい作品の数々と感動をありがとうございました。
実は「愛と青春の宝塚」公演の前に、三木たかしさん編「グレ-トマザ-」という番組記事を目にしたことがあります。
お母様と宝塚、芸能界の事、その後の子育ての事が語られてありました。
宝塚に入団したかった、シャンソン歌手になりたかった、パリへ行く為に満州へ渡った、そこで夫となる人との出会いがあり出産をした。 「歌手になる夢は子供たちへ託そう」。 との内容が記されてありました。
夢の続きが「愛と青春の宝塚」には詰まっているようで、そんなことも心の片隅に置いて舞台を拝見していました。
「愛と青春の宝塚」、 来場数116,309人の胸に感動をくださっていることになるようです。
そうすると約40年の間では?・・・なんて人数が想像がつかないくらい、計り知れない功績を残されていらっしゃる現実に気づかせていただいております。
三木たかしさん、「昭和」「平成」と日本人の心に感動と活力を与えてくださり、ありがとうございました。 - 合掌 - 。
三木たかしさんの事は、ほとんどと言っていいほど、知らなかった。愛と青春の宝塚で、作曲家の人なんやってぐらいしかなかった。
ニュースで、初めて三木たかしさんは、いろんな曲を作ってたんやと、初めて知った。妹さんも有名な方だったとわ。
心より、ご冥福、お祈りしています。
突然の訃報に本当に驚きました。お話によれば、闘病されていたのですね。本当にお疲れ様でした、と申し上げたい。
また昭和の至宝を喪ってしまいました・・・
お声が出なくてレコーダに録音されていたとは・・・胸の詰まる思いです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
数々の名曲の中に「アンパンマンのテーマ」もあったそうで、同居している姪っ子たちが歌っていたのを思い出します・・・
そしてカズさん、大変気落ちされているかと思いますが、時節柄どうぞ
くれぐれもご自愛ください。気温の変動に体調崩さぬようお気をつけて。
愛と青春も津軽海峡もテレサテンも大好きですっ!!
どうぞ…安らかに。
産み出された数え切れない名作たちが永遠に歌い継がれるのを
見守っていてください。
石井さん、お疲れ様でございます(__)
三木たかしさんの事は、昨夜知りビックリしました。(母と同世代なので)
病気の事は知っていましたが(確かテレビで以前見て)、『愛と青春の宝塚』の作曲をされていたのでお元気なのだと思っていました。
元々は妹さんと同じ歌手志望だったそうですね。思うように声が出せなくなってどんなに辛かった事でしょう…
心からご冥福をお祈り致しますm(__)m
影山センセっ(ノ_·。) 「タッチーへの想い」が聴きたくなりました…(;_;)