みなさん、こんばんは。石井一孝です!!!さっきまで「ブエノスアイレス」でオラシオ書店の店主だったんですが、この文章の中では三銃士の一人アラミスのつもりです。何故なら…..全国の『三銃士』症候群に悩まされているマドモアゼルのために、あ、ムッシュも歓迎ですよ。大千秋楽から1ヶ月経ってしまいましたが、当ブログ恒例の「選手権」を開催したいと思います。
今回はタイトル通り『三銃士』についてのお題です。っていうか、俺が2ヶ月半に渡って発表し続けた『アラミスの知恵袋』を、新たに「あなたの視点で」書いてもらいたいのです。
当ブログ読者には、何故かわからないけど文筆力や記憶力、妄想力やネタ力が抜群の方が多いんだよね。俺がミュージカル界の文筆マニアなのと関係があるのでしょう、きっと(笑)。そこで、40回を越える「知恵袋」には登場しなかった新しいテーマで何か考えて発表していただきたい。
と言っても、時折このブログの書き込みに現れる凄腕の世界史大好き少女ばかりでは無いことは重々承知しています。だから、知恵袋の内容はこんな感じで大丈夫です。
☆世界史が好きなあなた……『三銃士』と関係のある内容で、俺が取り上げていないテーマを発表して下さい。例えば、ルイ13世のお父さんアンリ4世についてとか。リュクサンブールの歴史についてとか。リシュリュー枢機卿の隠された秘密とか。
☆小説『三銃士』について詳しいあなた……東京公演の前半までは毎日入浴しながら読み進めていたのですが、疲労がたまって来てからページが進まなくなってしまいました。恥ずかしながら、わたくしの知識は上巻の真ん中で止まっています。そんなわけで、3巻ある『三銃士』の中から選りすぐりのエピソードを教えて下さい。もっと長い13巻に及ぶ内容を知っていらっしゃる方がいたら、それも知りたいです。アトス、ポルトス、アラミスのその後とか…..。
☆世界史にも小説『三銃士』にも明るくないけど、ミュージカル『三銃士』のことは詳しく、熱く語れるあなた…..「ハンカチ」や「クロワッサン」について俺が語ったように、世界史の人物についてではなく、小道具とかの話題、例えば酒飲みのアトスの愛した「ワイン」についてとか、ポルトスの愛した「パン」についてとか。どうですか?フランスの観光名所についての面白ネタでも良いかもね。
それから、あのシーンではこんな発見があったとか。実は暗い中で安部ちゃんやミツがこんな面白い演技をしていたとか(笑)、通なネタも可です。
☆ボケ・突っ込み・お笑いが担当のあなた…..なにか『三銃士』と関連のあるテーマからボケたり面白いことを書いて下さい。例えば、じゃがいも号にちなんで「じゃがいも」の栽培の仕方(笑)とか、枢機卿にちなんで、「二枚舌」の男とつき合ってこんなヒドい目にあったとか、もちろん書ける範囲で(笑)。
まあ、こんな感じで「あなたの知恵袋」を執筆してみませんか?執筆と言っても50字くらいから5000字くらいまで、長くても短くても大丈夫です。ちょっと時期外れだけど、あの永遠の夏をネタに盛り上がって『三銃士』から卒業したいあなた!書き込みをお待ちしています。
景品は何かって?フフフフフ。ここから先が「腰砕け」の真髄です。
ご存知の様に、この数週間で『アラミスの知恵袋』のトピックスを全て書き出したんですが、全部で43回ありました。そこで、皆様の熱い要望にお応えして、この全43回をトピックスだけでなく詳しい内容を再現して『完全版アラミスの知恵袋』を執筆しようと思います。劇場で語った内容に加え、新たに勉強した知識も盛り込み加筆したいと思っています。A4で30~40ページくらいにはなるかと思います。これを今回の選手権の景品にしたい!!!
2011年の夏、命をかけて愛した『三銃士』と『アラミス』に自分の中で一区切りつけるために…..大好きな世界史をもう一度山川出版の参考書で勉強したくて….みんなの狂喜乱舞する素顔を想像したくて….書き上げようと思います!!!
こんなに忙しいのにこんな無茶な景品を進呈しようとする俺は、はっきり言ってマニアか変態でしょう(笑)。
ただ、今は『ロコバラ』で精一杯だし、年末まではギチギチに仕事が詰まっているので、執筆は年末年始になるかと思います。したがって「完全版の完成」と「景品の到着」は、2012年初頭になるかと。そこまで待ってくれる寛大なあなたの書き込みをお待ちしています。
開始日時: 今
終了日時: 11月6日(日) 23:00
優勝者景品:「アラミスの知恵袋完全版」2012年初頭完成予定
優勝者は、アラミス(わたくし)が素晴らしい!面白い!ご立派!ナイスボケ!と思った方。優勝者と言っても1人ではなく、10名を予定しています。出来次第ではもっと減るかもしれないし、もう少し増えるかもしれません。ただ、今回はレアな景品なので、だからこそ、あまり人数は増やしたくないので「10名」と思っていて下さい。
皆様のご参加を心よりお待ちしています。『三銃士』を愛するマドモアゼル、さあ頭をひねってみて!今日のフォトは『三銃士』チラシ撮影の時の写真。ちょうど今から1年前くらい。つまり、生まれて初めてアラミスと出逢った瞬間です。懐かしい~~~。
おやすみ。アデュ~~。
本 「あ~ら 石井の奥様 お久しぶり~お元気?」
石 「あ~ら 本橋の奥様じゃありませんか ご主人大怪我されて入院されているんですってね」
本 「そうなんですよ。上司とね、何やら格闘したらしく、粉砕骨折してしまいましてね、ベット生活なんですよ」
石 「ま~~それは大変ね~~。そうだわ。今ちょっと話題になってる面白い事があるんですけど、ご主人も参加されないかしら」
本 「え!何ですの?」
石 「「三銃士 腰砕け選手権」っていってね、何でも世界史が大好きな荒墨って方がこの夏 命をかけて披露した知恵袋を、まとめ上げるんですって。その小冊子を優秀者にプレゼントして下さるんですって。どう?ベットで暇していらっしゃるでようから、退屈しのぎに参加されてはいかが?」
本 「今 荒墨っておっしゃった?」
石 「ええ 荒墨さんの企画なんですよ」
本 「あら~~その荒墨さんって 主人の上司ですわ・・とっても変わった方でね、マニアックって言うのかしら、凝り性って言うのかしら、気になったことはとことん調べないと気が済まない方のようで、うちの主人もお手伝いしているんですよ、全国の三銃士ファンのお力借りてね。もう既に、素晴らしい投稿が続投され続けているんですって」
石 「ま~~素敵ですこと。だからかしらね、今日も何やら書き込んでいたみたいよ。。ほほほほ。。」
本 「ところで 今日のメニュー何になさいますの?」
石 「うちの主人 なんだか今夜は、タロイモだかジャガイモもに興味があるらしく、栽培方法知りたがっているんですよ。でも今から栽培してたら、夕食に間に合わないでしょ。だからお買い物に来んですけどね。。ジャガイモも三銃士の頃の品種が良いって言うのよ、わがままよね~~」
本 「ジャガイモって確か 16世紀頃 南米からヨーロッパにスペイン人が持ち込んだものなんですってね。アンデスレッドって種類が原種にちかいんですってよ」
石 「あら!本当!それなら このスーパーに売ってたわ。このお店 ジャガイモの種類豊富なんですもの」
本 「そういえば このお店の屋号「ジャガイモ号」って言うわよね」
石 「ジャガイモ求めて 世界を旅してるんですって、先日も太陽の祭りさんって方とご一緒したとか」
本 「あら~~だったら 南米でユカって言われているお芋って、タロイモの事かしらね。。インカでも食されていたのかしら。。」
石 「ネットで調べたら そのユカの粉使った パン・デ・ケソpan de quesoってお料理があるみたい、ちょっと美味しそうじゃありません?」
本 「簡単で美味しそう♫ それなら 16世紀の三銃士たちも食べていたかもしれませんね」
歴史にも 三銃士にも全く疎いものですから
長々と大変失礼致しました。(^_^;)
カズさん、こんばんは(^^)/
明日からNY(!)へ行くというのに、目の前のニンジンにつられて…
選手権に初参戦します!!
≪リュクサンブール公園≫
ダルタニャンが三銃士アトス・ポルトス・アラミスと決闘する場所として指定されたのは…
「リュクサンブール宮殿の裏のカルメル修道院で!」でしたね。
あの宮殿の裏に修道院なんてあったかしら…
田舎から出てきたばかりのダルタニャンに、すぐ分かるかしら…
ありました!!
女子修道僧のための修道院だったようですね。
そして、この台詞を聴く度にいつも、リュクサンブール公園を思い出し、
広い広い公園の一画に老姉妹が動かす手回しのカルーセルがあったのを思い出していました。
フランスの街には、何処へ行っても大なり小なりのカルーセルがありますが、
こちらのカルーセルは、ただ馬に跨って回るだけじゃないんです。
馬に乗った子どもたちは、一人ひとりに剣を渡されます。
一人の老女がカルーセルの大きなネジ撒きを回すと、もう一人の老女が
金属の「輪っか」を持って上にかざし、小さな「騎士」は回りながら剣で輪っかを取っていくというもの。
簡単そうに見えて意外に難しいので、見ているだけでも楽しい…!!
フランスの子たちは、今でも騎士に憧れているんですよね~。
ヒーローですから…
こんばんは〜。カズさん。
大変なことになってるじゃないですか〜!!
阿蘇の大観峰で雄大な自然を満喫し、黒川〜由布院温泉めぐりをしてストレス発散☆
今日はぐっすりねむれるわ〜(^O^)
っと帰宅してみれば〜〜〜( ̄□ ̄;)!!
時間がな〜〜い!
でも、とりあえず…
ルイ13世はハゲ隠しでかつらをかぶってた!
なんか、どっかで誰かが話してたかな(・・?)
カズさんでしたっけ?
またチャレンジします!
「075」と「034」
わかりますよ〜( ̄^ ̄)
オ○○に、オッ○○○゛○○○でしょ?
おやすみなさ〜い(^^)v
石井さん、お疲れさまです!
すごいですね―! 皆さん濃い内容で文章も面白く、楽しませて頂いてます(^^)
やっぱ私には無理だ…(^^;
個人的にはP子さんの妄想劇場に爆笑いたしました。
「075」「034」の意味、勿論わかりますとも(^^)v
おやすみなさいまし☆(^.^)
【ぽんちの知恵袋☆ファッションのお話】
当時の洋服の襟は、スペイン式の高く首を覆うものはすたれ、現代の襟の構造と同じ、折り返し式の襟が登場。ただ、現代よりも随分大きく作られ、レースでトリミングされた襟は肩まで覆われていたそうです。ルイ13世が愛用したことから“Louis XIII Collar”と呼ばれているとか。
この折り返しの襟はその後、小さく変化してシャツの襟として17世紀から18世紀までクラヴァットと合わせて長く流行していきます。
ちなみに「クラヴァット」とはネクタイのことで、ルイ13世が宮廷のファッションとして取り入れたのが流行のキッカケとか。
その「クラヴァット」。
1635年にルイ13世がクロアチア兵を傭兵した時に、兵士達が色鮮やかな布を首に巻いていたのを見て「(首もとの布について)あれは、何か?」と尋ねたところ、側近が「クラヴァット(フランス語でクロアチアを意味)でございます。」と兵の出身地を答えた為で、今でもフランスではネクタイをそう呼んでいるそうです。
そして、16世紀の貴族たち。過剰なまでに宝石を身につけ、複雑さと豪華さを競っていたそうです。服全体に均等に切り込みを入れ、中に着ている服の布地を切り込みから少し出した華やかな服装が見られたとか。
流行として、袖を二重にして縦に開けたスリットから装飾をした下袖を見せたり、肘丈の短く幅の広いオーバースリーブを重ねたり、マンシェロンと呼ばれる肩から腕の上部だけを覆う装飾的な袖があったそうです。
・・・それ、どこかで見たことがあるな(笑)。
ここで、改めて出演者の皆さんの衣装を見てみると納得。皆さん、流行の先端を行くオシャレさんだったのですね!!
そして、ここまでを読むと陛下はオシャレさんのようですが、「若はげ」で貴族がカツラを被るキッカケをつくっているし、成長記録によると「初めての入浴が7歳。顔を洗ったのが9歳。」なんだそうです。ペストの流行があって、入浴による感染の恐れがあるといっても・・・。「入浴よりも顔を洗うのが先でしょっ!!」とツッコミは必須かと。いやはや、びっくりです。
今回、いろいろ調べていて楽しかったです。当初に想定したテーマからずれているんですけどね(笑)。
締切まで、懲りずにまたレポート作成しそうな勢いですが、『三銃士』は卒業したくない(できない?!)ので、留年してもいいですか?
石井一孝さま、こんばんは。
選手権エントリーしたいと思います。よろしくお願い致します。
様々な形でメディア化されている『三銃士』。その中でアラミスという人物設定にも変更が加えられていますが、私が注目したのはズバリ!女好きアラミスのめくるめく女性関係です!!
まず原作。女性遍歴はかなり豊かなのですが、ジュヴルーズ夫人、マリー・ミション、そしてロングヴィル夫人の3人は欠かすことのできない存在です。2番目のマリー・ミションはなんと、ミレディ亡き後のアトスの憧れの人でもあります。…やはり死んでしまうと損ですね。
ミレディ、残念。
次に韓国版ミュージカル。なぜか元オペラ歌手であったというアラミスが、酒場で仲間に披露する歌で衝撃の真実が明かされます。それは、ミレディがアラミスの昔の恋人であったこと。アトスよりも先に、アラミスは彼女と愛し合い、騙され突き落とされたのだった…
突飛すぎる設定に口あんぐり。
最後に、三谷幸喜脚本の人形劇。アラミスは青い髪、青い眼を持つ背の高い美男で、博識なうえ恐ろしく頭が切れ、紳士の鑑のような壮年。聖職に就きたいと願っているため女性を敬遠していますが、本編で恐らく人生でただ一度の恋をします。氷のような彼の心を溶かしたのは…薄紅色の瞳を持つ可憐な乙女。そう、コンスタンスです!!しかし、くそ真面目でバカ正直で潔癖症の彼に、戦争の暗い影が容赦なく襲いかかり、二人は結ばれることなく最終回を迎えてしまいます。
余りにも切ない結末に絶句。
こうして見てみると、アラミスは徹底的に女運に恵まれないようです。でも…時空を超えて女から女へ渡り歩くアラミスって…素敵。
お忙しい中、長文失礼いたしました。
ごまさばの美味しいところから失礼いたします。
私も参戦しますが、はっきり言ってこれしか浮かびませんでした!
博多座公演で9月21日のマチネでの銀橋トークから浮かんだ物語(?)
博多座警察署長である(?)ミレディことあさ子ちゃんに
捕まってしまった三銃士は有罪と引き換えにあさ子ちゃんから
至上命令が出される!それは、「博多の街を飲酒運転撲滅すること!」
しかし、博多の街を知らない三銃士は四苦八苦するが、
博多うまれの「ハカタニアン」(9月7日のトークショー参照)に
助けられ、飲酒運転撲滅することができたかな(?)
追伸・三銃士は仕事を終えると中洲川端商店街や屋台に出向き
疲れを癒したらしい…。
ボケ・突っ込み・お笑い部門からエントリーしましたが、
まじめな話、本当に悲惨な事件があったのにもかかわらず
飲酒運転する馬鹿チンが多い!ということで、
正義感が強い三銃士の皆様に撲滅していただきたい!ので
書いてみましたが、いかがでしょうか?
ところで、三銃士の皆様方。特にアラミス様。
博多に家買いませんか?おいしいものはあるし、
博多のおなごは男を立てるし(笑)
すみません、一部文字化けしました。
八里=31.416kmです。
こんばんは!
うわ~!腰砕け三銃士企画、難しすぎますよ!
皆さんツワモノのマニアックだらけなので、ちょっともうすでに無理っぽい。笑
仕方がないのでじゃがいも号の知恵袋でも。
原作(竹村猛訳)でのジャガイモ号、名はなし。
黄色の毛並み。その他にはオレンジ色やらロシュフォールには「若いころにはきんぽうげ色をしていたにちがいない」と言われている。
今様のロシナンテ。
ロシナンテとはかの有名なドン・キホーテの愛馬の名前である。
ちなみに小説の始まりではダルタニャンは「まるでドン・キホーテのよう、姿は生き写し」と書かれている。
ベアルン産の小馬で年は13才ほど。
年の割にはよく歩き、1日に八里(31.416㎞)を歩く。
でもその後バッキンガム候から贈られた馬は1時間に10里を走る。
ロシナンテ、実はそんなにたいしたことはなかった。
父親から「決して売らず、大切にしろよ」と言われていたが、パリへ着く前に乗りつぶし、あっさり売却。値段三エキュ=十二リーブル。(ひどすぎる。)
NHK版の人形劇「新・三銃士」でも名はなし。
ロシュフォールとの馬談議はばっさりカット。
ちなみに馬の声は山寺宏一さん。どの馬役かは定かではありませんが。
アニメ三銃士ではその名もロシナンテ。
ドン・キホーテそのままに名前をいただいたようです。
今最新の映画三銃士。名は「バター・カップ」(・・・なぜ?)
馬の毛は黄色ではなく、ダルメシアン柄。
もしやダルタニャンとのダジャレか?(いやマジで。)
そしてドイツ語版ミュージカル三銃士。名はPomme-de-Terre.
フランス語だとPomme de terre.フランス語と一緒。
「大地のリンゴ」を意味し、ジャガイモのことです。
なので、じゃがいも号は実はミュージカル独自の名前なんですね。
というわけで、じゃがいも号知恵袋でした!
『三銃士 腰砕け選手権』
ですか!?
受験生ですが、世界史好きな
血が騒いで止まないので多少の息抜きも兼ねまして参加させて頂きたいと思います!!
TBSのあの有名ヒストリー番組
“世界不思議発見”の進行役であるミステリーハンターになった気分で今回はお話します(´∀`)笑
———————-
今回お話するのは、三銃士、また17世紀フランスにおいてもとても縁の深い人物についてのお話です。
彼の名前はチャールズ2世。在位は1660年から1685年、時のイギリス第4代目の国王でした。
彼は三銃士にも登場するアンヌ王妃と血縁関係上従兄弟にあたります。
実は彼が在位する前、クロムウェル率いる協和派の革命によりイギリス国内は動乱の真っ只中。
(この動乱の中でチャールズ2世の父親であるチャールズ1世は処刑されましたが、劇中でも登場するバッキンガム公爵はそのチャールズ1世に仕えていました。)
とても国に居ては身に危険が及ぶため若いチャールズ2世はフランスに亡命し身を隠しました。
ここは歴史上の史実とは異なるとは思いますが、三銃士の原作である『ダルタニャン物語』の中で
フランスへ亡命したチャールズ2世はルイ14世にイギリス国内の動乱を治め、王政復古するための救援を求めていますが、その時ルイ14世の枢機卿であったマザランは断固として断ります。
それを見ていたダルタニャンは
融通のきかないマザランに痺れを切らし50歳という老齢ながらも自ら銃士を退役しチャールズ2世をイギリスへ帰し王政復古させることを約束しました。
その後アトスも協力して結果は大成功(^^)
チャールズ2世は2人にとても感謝をし続けたと小説に描かれています。
(この時アラミスはすでに僧侶になられていたはずです!)
ここまでが三銃士に
直接的に関わるお話ですが、
チャールズ2世にはとても
興味深い話があるので
それをご紹介したいと思います。
チャールズ2世というのは実は現在のチャールズ皇太子の直接的なの祖先であるのです。
彼はいわゆるイギリス版の石〇純一さんというのか、イギリス版ジ〇ーラモさんとえば良いのか…
とにもかくにも女性好きで
社交的で遊びも大好きでした。
彼の趣味のひとつに
「 観劇 」がありました。
当時の劇場というのは今よりも少し砕けた感じで開演の前などに劇場内で食べ物を売ったりする売り子さんが存在していました。
(現在のプロ野球の球場でビールやホットドックを若い女性が持ち歩いて売っているようなイメージを持って頂けると分かり易いかと思います!)
その売り子さんのひとりにオレンジを売る一際美しく可愛いらしい女性がいました。
チャールズ2世はやはり彼女を見て一瞬で好きになり結局愛人として自分の元へ迎えることに決めたのです。
しかし売り子をやっているくらいの身分なので、やはり相手は庶民。王家と繋がることには身分不相応。
そこで考えたチャールズ2世は彼女の父親に自ら爵位を与え妥当なところまで持ち上げて、ふたりは結果愛を育むことができたわけなのです。
ここで驚くべき事実がひとつ!
実はその美しく可愛いらしいオレンジ売りの娘というのが実は故ダイアナ妃の直接的な先祖の方にあたるのです。
チャールズ皇太子と故ダイアナ妃。
実は遠い遠い昔に繋がっていたのですね。
何だかノスタルジックです。
言ってしまえば、史実とは異なってはいますがダルタニャンやアトスの懸命なる協力のおかげで
ふたりは出会えたようなものですよね\(^^)/☆
以上、みどりぐみ知恵袋のお時間でした!笑
長文大変失礼致しました!
–
今晩は…お疲れ様です…
昨夜から頭痛がとれないまま出先からコメントを拝見したら…
ああ…皆様凄すぎる…
ガクッ…
三銃士のその後をちょっと調べてたんですが…とても太刀打ちできません…
で…歴史好きなら知ってるかもしれないけど、私がずっと気になっていたことを調べた結果でいいですか?
「三銃士(原作)に愛人が多いわけ」
だってアトスもアラミスもポルトスも愛人なんですもん!
真面目に始めますよ。
17世紀から18世紀にかけて宮廷社会から生まれた宮廷文化は、ルイ14世の時代に花開きます。
ちょうど原作の頃ですね。
その文化の基本に位置していたのが「恋愛」でした。
宮廷での恋愛は日常茶飯事であり、大きな要素として公認されていました。
この恋愛のルーツは更に500年前に遡ります。
ヨーロッパにおいて「恋愛は12世紀の発明」といわれるそうです。
キリスト教の道徳観の支配下の元、恋愛感情は野蛮なものとされていた時代、恋愛を歌い上げる叙情詩人たちが登場します。
彼らは恋愛を価値ある新しいものという概念を仕立て上げ、そのテーマは「まことの愛」であり、騎士が貴婦人に捧げる女性崇拝の愛でした。
騎士の愛の対象は、報われることのない身分の高い既婚の貴婦人。
恋愛は騎士にとって自分に試練を課し、精神を高めていく行為で、「騎士道恋愛」と名付けられました。
彼らの関係は主人と下僕。恋のために命を投げ出す純粋さを持つことが美徳とされました。
そして見返りである女性からの何らかの好意的表現は騎士に勇気をあたえるものでした。
この騎士道恋愛が西欧的恋愛の原型だそうです。
三銃士の頃になると、騎士道恋愛のプラトニック的傾向や悲劇性が失われ、恋愛を楽しむゲームの雰囲気が加わり、優雅な趣味的恋愛となってきます。
女性は手の届かない存在ではなくなり、多くは「情事」となっていきましたとさ。
騎士道恋愛ね〜。
そもそもフランスの恋愛についての価値観が日本はもちろん、西欧圏でも大きく違うのは、フランスの社会の成り立ちに関係するそうです。
イギリス人やアメリカ人は自然を切り開いて社会を作っていかなくてはならなかった為に、社会関係の基本が「人と物(自然)」となったのに対し、
フランスは支配しやすかった為、物(自然)との関係はあまり重要にならず、「人と人」1対1で濃く関わる関係を基礎にすることとなったようですね。
ふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
終わった〜〜〜〜〜〜〜
卒論の苦しみを思い出しました〜〜〜〜〜〜〜
こんなのでもいいですか?
あとせっかくだから思いついた拙い知恵袋
★「一人は皆のために、皆は一人のために」
原作ではてを合わせて1回しか言ってない
★ダルタニアンとロシュフォールは親友になるんですよ
★ダルタニアンの子孫は現存していて、アルマニャック産のブランデーを作ってい…る………………………………バタッ
初の参戦です。あひると申します。皆さま、よろしくお願いいたします。
私のレポートは、「アラミス様、パリの街でのお買い物!!変!?です」です。
みなさんご存じ、パリの街にはたくさんの店がありいろんな物が売ってます。そんな街でのアラミス様の行動はいかに?
ある日、御用達のよろずやの「すぎやま」で十字架をご購入。流石、銃士引退後に聖職に就きたいとお考えのアラミス様にぴったりの選択。十字架を掲げ持つ姿がどこか?なんとフランス繋がりでバルジャンに変身。十字架を花屋の美女へプレゼント。美女は、喜んで十字架を抱きしめる。十字架が燭台の日もあった。
別のある日、いつものように「すぎやま」でお買い物。何故か?この日はハタキをお気に召し、すぐに「すぎやま」店内の掃除にかかる。アラミス様がチネッテ(宮崎駿の「アルプスの少女ハイジ」のクララの家のいつもハタキを持つ使用人)に変身。そんな姿を優しく見つめる花屋の美女。やはり、その日もハタキを美女へプレゼント。美女は、実演通り嬉しそうに店内の清掃にかかる。
ある日、いつもの「すぎやま」でまたもやアラミス様は心奪う物と遭遇。「いい仕事してますねぇ」と聞こえそうな、アラミス様が今度は中島誠之助さんに変身し、凡人にはただの壺にしか見えない壺を嬉しそうに手に入れる。流石、マニアですなぁ。もちろん、壺は花屋の美女へプレゼント。美女は、困惑な表情ではあるが常連客からのプレゼントを大切に飾る。
ある日、またもや「すぎやま」であるものを発見するアラミス様。流石のアラミス様でも使用目的が解らない。店主の杉山に実演して貰ったところ、キリスト教徒では解らない・・・さもありなん。仏教でお祈りの時に使う数珠でありました。まぁアラミス様ったらいつの間にかその技を取得し、三蔵法師さまに変身し花屋の美女へ使い方を伝授しいつものようにプレゼント。美女は、解らないが有り難く受け取る。
ある日、いつもより顔を紅潮させ「すぎやま」にただならぬご様子のアラミス様。目をウルウルさせて最後に所望された品物は・・・絨毯でした。みなさんご存じ、千秋楽はアラミス様はアラジンに変身されました。その日ばかりは、花屋の美女はジャスミンに変身。と私には見えました。
アラミス様のお買い物変?レポートでした。パリの街は、お買い物だけで世界旅行気分でしたよ。
《おまけ》ちなみに、アラミス様が花屋の美女に現を抜かしている頃。アトスは、街で八百屋「ふじた」の前で椰子の実を頭突きで真っ二つ。椰子の実ってそんなにヤワなものじゃないのにアトスってどんだけ石頭なの?(笑)その中から出てくる出てくる・・・いろんなありえない果物、野菜や当時は貴重な香辛料まで。フランスの街では、ホントに揺り籠から棺桶まで取り扱ってますね。
このレポートを見てみんなが楽しんでくれた、笑顔が私からのプレゼントになったら嬉しいな。それを戴けた題材の「三銃士」と出会いに感謝します。
一孝さん、ありがとうございます♪
携帯からの投稿なので文字バケしないで伝わることを祈りつつ。
とにかく今回は忙しくて時間がない(>_<)
もう出ているかもしれないし、銀橋で御披露目しているかもしれないけど、とりあえずひとつ。
フランス料理のテーブルに並んでいるナイフ、最近はファミレスでも庶民が使っておりますが、
あのような型にしたのは、実はリシュリュー様なのです。
その当時、ナイフは肉などを切りやすくするために、先端がかなり尖っていた。
ある日のこと、リシュリュー様のもとへ会食に来た男が、食事が済むと歯の間に挟まった肉をギリギリとナイフの先端で引っかき始めた。
まあ今で言えば、おじいさん、おばあさんが爪楊枝でチュパチュパやっているようなもの。
それを見つけてしまったリシュリュー様は、なんとはしたない、行儀が悪い光景だといって、
お屋敷のナイフの先端をすべて丸くしてしまったのだ。
その後、その型は他の貴族たちの間にも広まって、長い年月を経て現在に至っている。
性格は決して丸くないリシュリュー様、ナイフの先端だけは丸くなくては気が済まなかったのでしょう。
これからテーブルのナイフを見るたびに、舞台でのリシュリュー枢機卿のあの恐ろしい陰謀を思い出すのか、
あるいは、祐一郎さんの甘いマスクを思い浮かべるのか、
はたまた、スタンドマイクを持って御乱心あそばされた奇妙な人物が脳裏をよぎるのか…。
さあ、あなたはどうかなぁ〜!
kazuさん。こんばんは☆
『三銃士 腰砕け選手権』参加いたしますが、世界史系はどうみてもアウトなんで(^^;)これでいかせていただきます!
☆ボケ・突っ込み・お笑いが担当のあなた…「はいは~い(^-^)/」
(注)勉強疲れで相当現実逃避したので長いです(^^;)
【け~こ脳内劇場より】
ダルちゃん「本日のご観劇誠にありがとうございます!『三銃士』再演を熱望されたミュージカルファンの皆様のご要望にお応えし創られた『三銃士外伝~アラスミとジユウ~』2日目を無事終えることができました!初日には脚本・音楽監督を担当され、アラスミを演じられました石井一孝さんにご挨拶いただきましたが、本日はファン代表として窓母汗”瑠・稽古さんに銀橋にご登場いただきたいと思います!どうぞ~♪」
稽古「本日はお招きいただきありがとうございます。窓母汗”瑠・稽古です。では私がいかに先の『三銃士』を♪アラミス様を♪お慕いしていたかということをここで述べたいと思います。
帝劇へ遠征して『三銃士』を6回観劇したものの、アラミス様のブログを毎日読むうちにど~しても博多へ行きたくなり、9月3連休の予定を変更いたしました。私の観劇日記を読みあげます」
★9月23日
東京にて観劇そして宿泊。
★9月24日
朝5時30分に起床。羽田7:55発の福岡行きに乗る。スカイマーク安っ!9:50福岡到着。一度ホテルに荷物を置いてkazuさんを入り待ちするも会えず・・・。マチネ観劇。博多座の食いっぱぐれのないロビーに驚く。アラミスピーチ食す。大変デリシャス(^^)この日は1回公演だったので義援金活動がありkazuさんと言葉を交わし握手までしていただく。感激☆そして出待ちするも会えず・・・。夜は芳雄くんお薦めの大助うどんを食べに行く。
★9月25日
私の誕生日☆その日も入り待ちするも足早に歩くkazuさんの後をピッタリと歩く女性にたじろぎ遠慮する…。あとでファンとわかる。ふ~。びっくりした。マチネ観劇。そしてソワレ。待ちに待った三銃士の銀橋トーク♪お楽しみも束の間、終了後即行劇場を出て博多駅へ。そして最終新幹線みずほにて新大阪へ。この日のうちには名古屋に帰れず駅に一番近いホテルに宿泊。
★9月26日
朝5時45分起床。7:27発の新幹線に乗る。帰宅して9時30分に出勤。遅番勤務を勤め、その後習い事をして夜10時帰宅。
稽古「怒濤のスケジュールの中、疲れを知らない私を支えたのは、『三銃士』観劇とアラミス様お薦めの『即攻元気』でした!」
会場割れんばかりの拍手の中、ひと際大きく拍手していたのは株式会社明治の宣伝部長であった。
「そして皆様。最後にこれだけは言わせてください!」どよめく会場。
「・・・整いました!!!私の『三銃士』観劇とかけまして、荒墨警部と本橋刑事と解きます。そのココロは…」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どちらも「おっかけあい」が素晴らしい☆
割れんばかりの拍手の中、ひと際大きく拍手していたのはすっかり元気になった荒墨警部と本橋刑事であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・念のため「追っかけ愛」と「おっ!掛け合い」っす。
「おっ三銃士」もちょっと意識してありますよ(^^)
以上!
ちっとは勉強しろよ・・・。はい。自分で突っ込んでおきましたm(_ _)m
ではよろしゅうに。勉強してまいります。
☆アトス☆
年齢は「三銃士」の時点で推定30歳頃、「20年後」の時点で49歳と自己申告。年齢的にはダルタニャンより、10歳ほど年上で機嫌のいい時にはダルタニャンに対し「なあ、せがれよ」と呼びかけることもあった。
無口でどこか暗い印象を受けるが人格としてはどこか王族の気風を漂わせており、どこか只者ではない印象を相手に与える。また若いころは大酒飲みでどこか人間関係で打算を持ち出す。
ダルタニャンは誠実なアトスに対し引け目を感じ、アトスだけは騙したりできないと感じている。
モデルになった人物は、アルマン・ドゥ・シレーグ・ダトス・ドートヴィエイユ(1615年ー1643年)銃士隊長トレヴィルの親類で、そのつてをたどって銃士隊に入隊。軍人としては特に見るべき功績もなく、決闘騒ぎを起こして死亡した。
☆アラミス☆
軍人でありながら聖職者として生きることに憧れている。
比較的に家族構成などが判明し、身元が明らかなアトスらに対し、アラミスは家族関係などの情報はほとんど語られない。女性関係のトラブルから決闘に発展し、羨むうちに銃士になったとのことである。
そのような経緯から「三銃士」では失恋などのたびに僧籍に入ろうとする場面が度々ある。その一方で性格はかなり好戦的であり、何度も決闘騒ぎをおこしている。
剣や銃の扱いなどもかなりすぐれており、カルム・デショーでダルタニャンを加えた4人でリシュリューの親衛隊5人が決闘した際には、アラミスは一人で二人を相手にし、そつなく勝利を収め、シャラトンの戦いではシャティヨン公を銃で打ち破る活躍をした。しかし後年の「ブラジュロンヌ子爵」の時点(1660年頃)ではポルトスやダルタニャンらは相変わらず優れた武芸の腕を披露してるのに対し、アラミスは痛風などを煩った結果、頭脳労働に終止することになった。
アラミスには実在のモデルとして、アンリ・ダラミツという人物がいる。銃士隊長・トレヴィルの甥であったのでコネをたどって銃士隊に入る。ただ軍人として特に目立つ功績は立てていない。
☆ポルトス☆
性格は見栄っ張りで虚栄心が強い。派手な服装を好む。これがきっかけでダルタニャンと決闘に及んでいる。それでいて豪放磊落でどこかユーモラス。また自分に知恵がないことを自覚しており、ダルタニャンの進言を素直に受け入れるなど謙虚なところもある。
ポルトスのモデルは、イザーク・ポルトー(1617年ー1712年)というガスコーニュ人の銃士。銃士隊長・トレヴィィルの従兄弟でありそのつてをたどって入隊したと見られている。軍人としては特に見るべき功績はないが、従兄弟にはアルマン・ダトス(アトスのモデル)がいる。
1654年に父親が死亡すると退没。1712年に脳梗塞で死亡した。
最後に≪アラミス年表≫
1602年ー1604年 アラミス誕生
1611年ー1613年 9歳で神学校に入る
1622年ー1624年 叙品を受ける予定だった20歳の誕生日の3日前に、
士官に侮辱され、以後1年間剣道の特訓
1623年ー1625年 ペイエンヌ街で例の士官を殺害、大騒ぎになり叙品見込み立たず。
以後、アトス・ポルトスと知り合い、銃士になる。
一孝さんへ☆
今日は、たくさん書き込みしてしまい・・・、
ごめんなさいですm(__)m