<追記>
明日のサタトレに、ライオンとリス星人の姿月あさとさんがゲスト出演してくれます。完パケ音源を聴いたけど、ズンちゃんのトークが腹を抱えるくらい面白いよ(爆笑)。選曲もかなり自信ありだよ。絶対に聴いてね。明日の21時 FM Cocolo 76.5 『Saturday Night Treasures』です。
陽射しが強い昼下がり。暑い。そしてものすごく眩しい。目を開けていられないほどだ。
稽古が始まったのが3月3日。まだ肌寒い季節。厚手のダウンジャケットで本読みに参加したことを覚えている。和田正人君とはスチール撮影でホッペタをあわせるほどの仲ではあったが(笑)、真剣に芝居の話しをするのも台詞を喋ってるのを聞くのも初めてだった。
まずは「正人君はもう台本は覚えたの?」と軽いジャブから入った。なぜなら俺はまったく手つかずで劣等感に加え軽い目眩すら覚えていた時期だったので、正人君の動向を調べておく必要があったからだ。その返事次第では瞳孔が開いてしまうかもしれない状況であった(あほ)。
「いや、これからなんですよ」
よ し!仲間がいた。あの時感じた強い連帯感は、強い絆となってその後の俺たちをつなぎ止めることになる。どんなに覚えても減らない台詞の分量…巨大な山 脈の如し。冗談を言ってはいけないような本読みの日々が2人に襲いかかって来た。でも2人は冗談を忘れず積極的にボケ続けた。追い込まれても朗らか… 究極の共通点であった(笑)。
この当時の俺たちを見守っていた演出家が名匠 鵜山仁さんだ。後日談で、鵜山さんは「本当にこの2人はいつかちゃんと覚えられるんだろうか?」と思ったと言っていた(笑)。あ、酎吉さんも同じことをおっしゃっていた。そんなにヤバかったのだろうか(汗)?
あれから2ヶ月。優しさと切なさと、それから愛しさと狂おしさに包まれて『小林一茶』は全公演を終えた。まだ胸の奥がドキドキしている。そして、そのドキドキがゆえにたまらなく寂しい。
お客様に教えられ支えられた毎日。井上ひさしさんに天国からエールをいただいた日々でもあった。たいへんな難作ではあったかもしれないけど、みんなで手に手を携えて思う存分江戸を生きられたと思う。皆様、本当にありがとうございました。
感謝の想いでいっぱいです。竹里をこれほど思い残すことなく走り抜けられたのは、みんなのおかげです。ひとまず竹里とさよならしますが、あんな男がいたことを忘れないでね。強くて弱くて不器用で繊細で…とても人間的な男だと思っています。
まだ目を閉じると江戸の街並が見えます。風の音や竃で炊いている飯の匂いも(笑)。
そこで、最後にみんなと『小林一茶』を少々語りたいと思います。
<一幕>
一場 賭け初め泣き初め江戸の春
「 懸賞句会のシーンだね。」
二場 芝居仕立て
「俺が飯泥になって足かせをかけれていたシーン」
三場 最上川の歌仙
「弥太郎とおよねさんがいい感じになってるところに、二六庵に入ることが決まった竹里が偉そうに入って行くシーン」
四場 あれこれと集めて春は朧なり
「コミカルなベッドシーン(笑)」
五場 さらば笠
「竹里がひたすら喋り続けるシーン。藤六さん、およねさんと。そして独白」
六場 芸になる木の植えどころ
「俺たち的にいえば舟のシーンです」
<幕間>
<二幕>
七場 一座
「こりゃあもう夏目成美先生のシーンです」
八場 咥え紙
「屈辱と成功と愛にもみくちゃになる心の動くくわえ紙の場」
九場 灸
「九場が灸って。井上さんて本当にギャグ好きだよね(笑)。俺が源助になったシーンです」
拾場 明神一座の請負仕事
「オーラスの謎解きの場面」
拾一場 影絵芝居
「一茶に代わる誰か悪いやつを探さなければと言って、不気味に歌い踊る一座の皆。次第に影絵が場を支配して行く」
<竃の飯のお題>
1、『小林一茶』はどのシーンがお好きでしたか?俺が出ていないシーンでもいいよ。
俺は苦労したぶん「五場のさらば笠」のシーンかな。あの場面の長台詞を覚えるのに200時間くらいかかったんじゃないかな。朝起きてさらば笠。夜寝る前にさらば笠。だから思い入れがあるんだ。半紙本を焚き口で次々に燃やしてしまうシーンの怒りと屈辱は忘れられないな。
2、『小林一茶』はどんな台詞が記憶に残っていますか?だいたいでもいいよ。
俺 は一場の「俺たち俳諧師の命は言葉だ。百姓には田畑。木樵には山。漁師には海。職人には道具。商人には品物。それぞれ確かな相手がある。だがこっちが相手 にするのは、屁の支えにもならぬ頼り甲斐のない代物よ。それでそいつをしっかり捉まえとくために、詩情(うたごころ)という重しをつけ、五七五の十七音だ の季題だので形をつける。同音読みだって廻文だって、せっかく集めた言葉が吹き散ってなくなってしまわねえようにするための形・枠付けなんだ」が好き。井 上さんの言葉って美しいなあと思って毎回言ってました。自分が頭がよくなったみたいな気がしてました(あほ)。
そ れから八場の咥え紙。「嘘をつけ!これでも俺はお前の体を隅から隅まで諳んじてるんだ」から「どうした?およね…痛むのか?」までが毎回心に突き刺 さったな。竹里がいかにおよねさんを愛するかが後半の鍵だと思っていました。竹里は駆け落ちしてからの十年、命をかけて彼女を愛したんだと思う。そして貧 しい暮らしをさせてしまったことを死ぬまで悔やみ続けたのだと思う。
3、再演して欲しいですか?もしYESの方は、こまつ座さんに手紙を書いてオネダリしておいてね。「今回と同じキャストで再演して欲しいなあ」って(笑)。
感想、お待ちしています。
和田正人くん、鵜山仁さんと千秋楽直後の余韻の中で。
愛しいおよねさんと。
また逢う日まで。みんな、ありがとう!
竹里です。感想文が増えてて嬉しいなあ。譜面書きの休憩にここに来て感想文を読んでいます。忙しい中、ありがとう。江戸の想い出万歳!
およねタンねた、もう1丁~!
九場、花嬌が一茶に惚れて、上を下への大騒ぎ。
花嬌とおよねは顔がソックリな設定だけに、
およねが一茶に灸を据えているようにも見えました。
一茶と源助の2人に毅然とした態度で別れを宣告する花嬌が
およねと重なって、、、溜まらん~♪(*≧▽≦*)♪
花嬌の様な人生もあり得たかもしれないおよねタン。
でも(息子的には、ほぼオボコ・笑)花嬌の恋を切望する狂態は
もしや、源助(竹里)とおよねの仲睦まじさに刺激されて・・・?
はたまた、竹里に喝を入れる為、およねが花嬌に乗り移った・・・?
と、オカルトに走ってみたり。
およねなら一茶と竹里がどう動くか、お見通しだった気がするし
あの母子のはっちゃけ振りは何かに憑り付かれている様で・・・(笑)
何より、竹里は一茶とやりあってる時が1番イキイキしているし~(*^m^*)ニヘッ
またも独り言だし、、、あとね~、三場!←図々しい
嫉妬したり、平気なフリして常識人ぶってる一茶の
後ろでヤキモキしている、およねタン。
四場、緊張の余り、早口言葉の様に、言わずもがなの話をし続け
一茶の燻った火種を燃え立たせる、およねタン。
もツボでした、、、なんか今回は初めて母気分もちょいと入ったりして。
小賢しくも可愛くて健気で、凄み効いてて切なさが溢れ、気高く毅然とし、
ちゃんと色気もあって(笑)、役変り楽しかったニャン♪
つくづく、先走りはいけません、なあ。←よっ、名調子!
『小林一茶』を観ると、落語を観たくなりますなあ・・・(*^.^*)ニコッ
あ、あと~、竹里が解き放たれるチョイ前
「おミャーら、「米」と言う字はな~、八十八回の手間をかけてぇ~o(;△;)o」
デブ猫、竹里の頭の上に乗っかりオデコを温めながら、奴らにウニャウニャ説教たれました。
もちろん妄想です!
そんな事したら、金八先生(というか武田鉄矢さん)が訂正なさった
「人という字は~」
と同じになってしまいますし、狐狸妖怪に効き目は無いでしょうが、公演の最中に妄想するほど
ツボりました・・・(*^m^*)
GW最終日になってしまいましたが、、、遡って参りました~
ちょこっとだけ、感想を。
公演の感想と言うより、石井一孝さんの解釈についての感想に
なってしまいますが
>貧しい暮らしをさせてしまったことを死ぬまで悔やみ続けた
今回の竹里ならそうだろうなぁ・・・んで、およねに
「バッカね~、なに、水くさい事いってんの!」と笑われそう。
水くささなら、やたら川に縁のある、およねの方が上だし~(笑)
竹里も一茶も田舎生れだけど百姓仕事をする気は無いから
およねの方が稼げるだろうにそうしなかったのは
その10年、およねも命をかけて竹里の為に生きたからだと思うんす。
評判になってもマズイし、竹里にヤキモキさせたくもなかったろうし・・・
竹里に愛され、信じ信じられる幸せを感じつつ、
俳人として生きて欲しい気持ちもあって、訪れた死にホッとしたかも。
心ならずも、いつも自分が足枷になってた訳だから、
ラスト、竹里が解き放たれる場面では、「およねの願い叶ったり!」とも
思いました~(*^.^*)ニコッ
最後に、『小林一茶』プログラムに掲載された一茶の句から、心に沁みた句を。
・秋風や小さい声の新乞食
・木曾山に流れ入りけり天の川
サタトレも聴きました、、、「わあ~、キレイだな~」と見惚れていた
サングラス姿の麗人がトークの声だけ聴いてるとお笑い芸人。でも歌は二枚目。
ご本名のモジリとはいえズンコって・・・?と思っておりましたが、腑に落ちた気がします~(*^m^*)
こんばんは~
今夜も「箱形音声装置」前で、楽しくサタトレ聴かせていただきました♪
姿月さんとのトーク、お二人の「めっちゃ楽しい!!」空気が電波を通じてビシビシ伝わってきましたよ~
カズさんへの鋭いツッコミに禁断のコイバナもナイスでしたヽ(*´∀`)ノ
そして姿月さんのオリジナル曲「夜明け」、とてもステキな曲ですね♪特にこの時間に聴くと、胸を射られたようにグッときます。
大阪ライブでのデュエット曲もとても楽しみにしていますね。
まだまだ当分の間あとを引く「小林一茶」・・・八場ラストの暗転後に竹里がおよねの手を取りはける姿は、私も何度目かではける割には時間をかけているなぁと気がつき、「暗さの中ただはけているのではない→江戸をあとにする二人を表現してる」のが分かりました。
そして「拾場のめくり台の白紙タイトル」にコメントありがとうございます。私は舞台を見てから本を読んだので、タイトルあったんだ~が拾場のまず最初の驚きでした。御吟味芝居が終わり「今」に戻ったから?っていうのも頭をよぎったのですが、「どんな未来がやってくるのかが白紙」っていうのも大いに納得。最後まで受け手の捉え方で幾通りも楽しめる作品だったんだなぁと思いました。
あ~、やっぱり早い内に再演してほしい!公演期間中に実際の御吟味芝居をしていた11月8日が含まれるとムードあっていいですね~o(^▽^)o
あ!
八分九里、一分一里でなく、八分九厘、一分一厘です。
侘び尽くし侘び尽くしてぞ江戸の春
声とシルエットだけですぐにわかる竹里さん。幕が上がりあまりにお似合いのちょんまげ姿に「グサッ!」「やられたあ〜」の初観劇でした。
少ない観劇回数なのできちんと理解できていなかったらすみません。お題答えさせて頂きます。
好きな場面は沢山ありますが、拾場(いきなりラストかいっ!笑)五十嵐が謎を解き竹里の身を案じその身を解き放し自由になれ!と言いそして自分も同心肩書きを捨てる。
一茶、五十嵐、竹里が、3人がその場面で一点に繋がり三人三様の物書きとしての原点に立ちこれからの物語がまた始まる。
そんなその先にある何かを観せられたラストが爽やかでした。
一場の教授ご紹介の「俺達俳諧師〜」の長い台詞の「詩情(うたごころ)という重しをつけ、五七五の十七音だの季題だので形をつける」竹里が自身の俳句への魂を語る台詞。詩情と書いてうたごころと読むのですね。台詞の隅々のこだわりが凄いです。
あとズンと響いたあの台詞およねさんがサラリと言った「最初に私を開けた男」
さらり、淡々となんと艶っぽい事を•••••ドキドキしました。その後の竹里とおよねさんの恋のゆくえの八場の情を伝え合うお二方の演技は語らずも響く愛の形を魅せてくれました。およねさんは女として幸せをしっかり抱きしめて最期を迎えられたと思います。
たとえそれが竹里にとって
詫び尽くし詫び尽くしてぞ江戸の春
だったとしても•••••
竹里•••惚れてしまうやん!女心持っていかれました。え?客席の女心の仕分けを今してはるって?(笑)え?年齢制限で私の女心隅っこですか?(残念やあ)
再演はできましたら地方公演よろしくお願いします。
桜満開の最も日本が美しい季節に私が出逢ったこまつ座 「小林一茶」
そこにははらはら花びらを散らす無情の風に流されながらもより高みを目指し、愛に、俳句に、生きる為にとありったけの力で暮らす人々がいました。そこには様々な一座の姿がありました。
タイムスリップして竹里さんに心よせる団子屋の娘「団子」として一座に加わってもいいですか?(笑)あかん?
信濃路に鈴蘭香る君の道
すずらん花言葉 幸せの訪れ
皆様、サタトレはお楽しみいただけましたか?ズンちゃんこと「姿月あさとさん」とのトーク、めっちゃ面白くなかったですか?俺は腹をかかえて笑いながら聴きました。
大阪ライブが楽しみです。ラジオでも言いましたが、実はズンちゃんとのデュエット曲を書き下ろすんです。作曲家として、あれだけの逸材シンガーさんに歌ってもらう曲を書くって…興奮します。お楽しみに!
発句に命をかけろ!この台詞を忘れてはいけませんね。
発句に命をかけろだなんて、ただの同心見習いでは言えませんよ。狂言作者だからこそ。
あそこの五十嵐さんはかっこよかった。竹里の次に(≧∇≦)
五十嵐さんが一茶の俳句の生みの親ってことになりますね(・ω・)面白ーい
竹里様直々の解説!(*°∇°*)嬉しいです!
どんなに話が長くなっても、あっという間に読めてしまう、読み出したらきりがなくなりそうな解説!一晩中でも二晩中でも読み続けたいです!
手と手をとり合って、あの後江戸を出てからの記念写真のようだから、更にきゅんとくるんですよ~~(ToT)ちゃんと見てましたよぉ~。あれは原作に沿った実にナイスな演出でしたね。はける時だって見ている人はちゃんと見てますから。座席の位置にもよるんでしょうけど。
ありがと~~!は、毎回違っていましたもの(≧∇≦)私も。俺のAORが被りました。
竹里の酔っぱらう演出は、鵜山さんでしたか!八分九里教授かと思ってました。もしかしたら鵜山さん?が一分一里(笑)やりながら楽しかったんじゃないですか?(≧∇≦)
千秋楽では、竹里を一茶が引っ剥がそうとする度に、およねの台詞が伸びてましたよね。あれ、めっちゃ面白くていいと思いました。あれは?荘田さん?
お灸。私も初めてこの本を読み終えた時、竹里が仕返しという名のお灸を据えていたように思ったので、似たことを感じた方もいらっしゃるのだと嬉しくなりました。
全編通して、人間くさく嫉妬や怒りを見せる竹里の、どこかスケールの大きい愛を感じを受けたのですが、教授の竹里は私がイメージした通りの竹里でした!一茶の才能を認め、その才能に惚れ込み、結局は一茶を丸ごと受け入れる寛大さ。誰よりも一茶を理解している男ですものね。
小林一茶と表裏一体のように生きた男がおりましたという、表裏一体だけに実は『竹里』という物語だったような。
私、観劇する度に、「アーティストとは」と考えさせられてしまって。
教授もチラッと一茶の台詞に共感をもたれると言われていましたが、一茶に教授が重なって見えることもあり。好きな人を他人にあてがうほど薄情な人間だとは思っておりませんが、あの俳句にかける執念。普通じゃないですよね。あ、いい意味で。
それに、めちゃめちゃ努力家。台詞に「連句の会席の執筆役をつとめることになった」とありますが、この役、台詞にもありますが、文字が美しく、連句に通じた、かなり優秀な人間でないと任命されないのだそうで。実際一茶は独学で中国の書物を読んだりと、日々勉強に勉強を重ねてここまできたそうです。
今でこそゆとりが感じられる教授ですが(笑)その昔は凄かったんじゃないですか?
小林一茶のようでもあり、竹里のようでもあり。
アーティストにしかわからない、アーティストの心情かも。
五十嵐さんも、言葉を操るアーティストだったからこそ、一茶の気持ちがわかるし、座を捨てて一人になるんだって言えたのだと思います。
私、竹里もあの後、発句に命をかけたような気がする。発句を作るのにお金なんて要りませんもの。
めし泥していた時よりも、生き生きとしていたような気がする。
賢いし、もともと快活な人だから、どこかで誰かに気に入られて俳句の手解きなぞしていたかもしれない。
そのうちまた誰かと一緒になったかもしれない~~。
と、勝手に竹里はあの後少しは幸せに暮らせたと思わせてください(ToT)
こんにちは。
風薫る5月。
竹里さんの八幕。
最高でした。
いつの日か再演して欲しいです。(^^♪
赤津崎教授(^^)!
まだまだ…『小林一茶』…が…竹里が…およねさんが…いろいろな場面が…何かをしていても出てきてしまいます…☆
酔っぱらいのところは…演出でしたか…ということは…お尻のあたりを掻いていたシーンも演出かなあ…って…そればっかり(笑)
『咥え紙』の最後、暗闇になって…竹里がおよねさんの手をひいて歩く姿…後の言葉で繋がっていたのは…初日には気づかなかったのですが…後日の観劇で気づきました。
そういえば…
めし泥棒の時の…左足の脛の部分の傷は、めし泥で捕まった時に…つけられた傷だったのかなあ…
今日は八十八夜。
♪夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは 茶摘ぢやないか…茶?一茶!
あかねだすきに菅の笠…笠?さらば笠!
とまあ、本日もお江戸の情景が忘れられません。
竹里さん自らが語る解説、裏話ありがとうございますm(__)m
ありがとう5連発、毎回「喉は大丈夫だろうか」と思ってしまうほどの強烈なシャウトでしたが、
ここはロッカー魂が炸裂していたのですね(笑)。
咥え紙のシーンでは一茶は成美の庵が欲しいということがはっきりわかりましたが、
竹里の心情はどうなんだろう…迷いがあるのではないかと私も迷いつつ観てました。
そんなふうに登場人物の気持ちを探りながら観るのも観劇の醍醐味ですね。
八場の暗転後、手をとりながらはけていく二人…気づきましたよ。
とても自然な姿にみえました。
芝居とは暗転の中でも続いているのですね。
勉強になりました。
カズさんの「どうしよう 語り出したら 止まらない」に付け句です
「今宵も語る マニアな世界」
はい、サタトレも楽しみにしてますからね~♪
って、これも季語がないし~(笑)