岩谷先生が天国に旅立ってしまった…。
言葉が出ない….。
出逢いは1992年の『ミス・サイゴン』だった。確か、若葉香る5月の初日に、あの美しい和装でいらっしゃった先生にご挨拶させていただいた記憶がある。まだペーペーの俺だったが、岩谷先生のやわらかで気高い大人のオーラに圧倒された。
時は流れ1994年。マリウスという大きな役で『レ・ミゼラブル』デビューを果たした。まだ不安でいっぱいの俺に「ただ…あなたの信じるマリウスを演じれば良いのよ。大丈夫よ」と強く優しく勇気づけてくれたのは、岩谷先生だった。
先生にアドバイスしていただいたことで今も覚えていることがある。
『ABCカフェ』のシーン。革命に燃える学生達の集うカフェ。アンジョルラスの信念の演説の中、突然の恋に落ちたマリウスが遅刻してくる。彼は
彼女は幻…僕にほほえんで…夢のように消えた
とつぶやく。
この「夢のように」が「夢の夜に」に聞こえるのはモッタイないわと教えて下さったのだ。俺の歌の拙さであった。そんなに深いことを考えずに一生懸命歌っていただけの俺は、目から鱗が落ちた思いだった。そうか。確かにただ歌うだけでは、音符的にはそう聞こえてしまう。「よ」ではなく「よう」だ。そう気がついた。
お客様は歌詞カードを見ながら観劇するわけではない。お客様の耳に聞こえる音がすべてなのだ。そこににもっと神経を研ぎすまして、一つ一つ言葉を紡がないといけない…この緻密な作業・感性こそがミュージカル俳優の仕事で適性なんだ…ものすごく大切なことを教えて頂いたと思う。
あの日以来、最後にマリウスを演じた日まで、その教えを忠実に守り、歌い、演じた。岩谷先生との密かな約束のシーンであった。
96年。俺がシアターアプルで”As Singer”という初のソロ・コンサートを開催した時には、俺の曲に岩谷先生が歌詞を書いて下さったこともある。「どんな歌詞にしましょうか?」という打ち合わせで、帝国ホテルに伺ったら食事をご馳走になってしまった。何を食べているか緊張して分からなかったデス。生涯忘れられない幸せな想い出。
いつも上品で優しくて知的。気品溢れる大人のレディー。言葉紡ぎの不世出の天使。
僕等の愛する『ミス・サイゴン』も『レ・ミゼラブル』も…岩谷先生の言葉がなければ存在していない。いや、日本のミュージカルが日本でこれほど愛されるアートになったのは、岩谷先生の魂の言葉があったからだよね。本当に本当にありがとうございました。こうやって感謝の言葉を書いていたら…なんか涙が溢れて来た。
岩谷時子先生….安らかにお眠り下さい。
97年。レミゼのパーティーの時のフォトだと思います。今井麻緒子ちゃん・岩谷時子先生・俺。
落胆ゆえの支離滅裂な文、ご容赦ください。
ある言葉や出来事がきっかけで、自身の思いの深さに驚愕することがしばしばあります。
以前「レミゼに思い入れは無い」という発言を聞いて、作品の嗜好なぞ人それぞれと頭で理解していても衝撃を喰らう自分がいました。
自分でも面食らうほどの衝撃度に自嘲すると同時に、レミが至高の位置付けである事を再認識しました。
岩谷先生の訃報に際しても同様で、少しでもレミの真髄に近付きたくて原詞を深読みしてオリジナルや海外プロダクションを観ようとも、訳詞が伝える分量が原詞より減ろうとも、観る度に崇高さを体感できるレミは岩谷先生の詞世界ありきだった、と感謝の念しきりです。
キリスト教文化圏の概念が根底に流れる、大抵の日本人には理解不能な作品世界で、観客の心の琴線を鳴らしたのは岩谷先生が手掛けた訳詞に他ならないと思います。
卓越した日本語を駆使するあまり、観客そっちのけの自己陶酔型の訳詞。
あれもこれもと言葉を詰め込み過ぎて音を割ってしまい、音符に込められた感情を台無しにしてしまう訳詞。
原詞とは甚だしく乖離した訳詞という名の「作詞」。
ド素人の生意気極まりない見地からですが、残念至極な訳詞に出会う事も稀にあります。
岩谷先生の訳詞には徹底した母音調整が窺えます。
JVJの囚人番号24601 (two-four-six-oh-one) を日本語詞では24653(にー・よん・ろく・ごー・さん)にしたのは有名ですが、高音で張る音では喉をア母音の開いた形で維持して、歌い手の実力を最大限に発揮できるように配慮した訳詞が多く見受けられます。
教授が実際に歌われていかがでしたか?
岩谷先生が教授にダメ出しをせず、「もったいない」と仰ったエピソードは、先生の品格と矜持が感じられ、流石としか言いようがありません。
あの場面のマリウスの歌詞は、原詞ではghostしか使っていないのに「幻」「夢」といった類義語でマリウスの感情を豊かに表現なさっているところが先生の妙訳たる箇所です。
訳者のエッセンスを加味させ膨らみを持たせつつ、オリジナルの世界観を決して壊さない。
前へ前へと出ることはなさらず、一歩引いたところから慈しんで見守っていらっしゃる…訳は体を表すのだ、としみじみ。
今後、名訳に出会っても「訳者が一枚上」と思えるのは、私にとっては岩谷先生だけでしょう。
心からご冥福をお祈り致します。
岩谷時子さん言葉紡ぎの不世出の天使・・・本当にそのとおりですね。
レミゼ、サイゴン、ジーザス、キスミーケイト、アンデルセン、ウエストサイドストーリーなどなど大好きな作品ばかり。音楽に命を吹き込み心に沁みてくる言葉たち、岩谷時子さんの存在なしに日本のミュージカルの発展はあり得なかったでしょう。
感性豊かな教授だからこそ、岩谷先生との素敵な出会いが生まれたのだと思います。
本田美奈子さんと同じ病院に入院されてボイスレコーダーで励まされていたことをTVで拝見して、世代の垣根を超えて感性豊かな素敵な人はお互い惹かれあうものなんだな~と思いました。
天国で大好きな人たちと再会されていることでしょう☆
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
石井さん、おはようございます(^^)
ゆっくり眠れてますか?
お疲れさまです(__)
昨日より最高気温が6℃高いそうです。でも朝晩は涼しいので、お出かけの時は気をつけて行ってらっしゃーいヾ(^_^)
岩谷時子先生が骨折中に入院していた時に、同じ病院に入院していた本田美奈子ちゃんと、ボイスレコーダーでやり取りしていた音声をテレビで流していました。
今頃はお二人が逢えているかな?
悲しい知らせですね。
実は母の影響で越路吹雪さんのファンでした。
もし、この方が越路さんのそばにいなかったら、
あの名曲は生まれなかったんだと思うと
神様は素晴らしい出会いを用意してくださったんですね。
それと教授にアドバイスをしてくれたり、
詞も書いて下さったんですね。
お優しい方だったんですね。
ここのところ越路さんの人生を
ドラマや舞台で見ましたが、
先生を見るたび、「お元気で過ごされているだろうか?」
と気になったおりました。
今、天国でこーちゃんと話に花を咲かせてるのでしょうか?
そう思うとちょっぴりですが、気持ちが楽になります。
ただ、来年は宝塚歌劇100周年。
歌劇の雑誌の編集者だった先生に
一緒に祝ってもらいたかったですね。
岩谷時子先生は素敵な歌詞を沢山残してくださいましたね。
石井さんのブログを読んで、岩谷先生が「Bui-Doi」の“〜地獄で生まれたゴミクズ〜”のフレーズを訳す時、大変悩まれたと語られていた事を思い出しました。
色々な報道等の思い出の中で、雑誌の企画で岡アンジョが、レ・ミゼの舞台裏や楽屋、稽古場等をポラロイドで撮った写真の中に、岩谷先生がカメラを持つ岡さんに向けた笑顔が、本当に可愛らしいおばあちゃまと言う感じだったのが忘れられず記憶に残っています。
この時、石井マリウスは休憩中に、レ・ミゼの小説を読んでいた所を撮られて、照れ笑いをしていましたね!(覚えていますか?)
今、岩谷先生は先に逝かれた親しい方々と、空の向こうで色々なお話をされているかも知れませんね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
一孝さんへ
こんばんは。
岩谷時子先生との素敵なお話を聴かせて下さり、ありがとうございました。
お写真からも先生の気品、温かい優しさが伝わってきます。
演者の皆様の想いと共に、これからも末永く人々を魅了し続ける作品たち…
岩谷先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
岩谷時子先生、どうぞ安らかに…心よりご冥福をお祈り申し上げます。
そして今回の教授のお話…私事ながら、大変勉強に
なりました。私などがおこがましいにも程がある
のですが、そのお話を胸に頑張ろう…。
勝手な呟きスミマセン。失礼しましたm(__)m
一孝さま(≧▽≦)こんばんわ。
素敵な方がまた一人旅立たたれました。
岩谷時子さんを知ったのは、ミスサイゴン時でしょうか。
演劇雑誌で拝見させていただきました。
心よりご冥福をお祈りいたします。