1992年5月5日。今から20年前…..。
超大型ミュージカル『ミス・サイゴン』初日の幕が開いた。なんと当時の日本記録となる18ヶ月ロングランの幕開けであった。帝国劇場はヘリコプター用に工事され、キャメロン・マッキントッシュ・プロダクションの才人達が一同に東京に集まった。
作曲のクロード・ミッシェル・シェーンベルグ氏や作詞のアラン・ブーブリル氏は勿論、演出のニコラス・ハイトナー氏。助手のミッチェル・レムスキー氏。振り付けのボブ・エヴィアン氏。振り付け助手のジョディー。照明さん・音響さん・装置さん・衣裳さん、そしてキャメロン本人…..誇張無しで世界の演劇界を揺るがす重鎮ばかりが集まったのだ。帝劇はさながら夜の六本木くらい人種の坩堝と化していた。
まさに歴史的な一日。
なんという縁か…..その場にいさせてもらい、役者としてのスタートを切らせてもらった俺はラッキーとしか言いようがない。まあ、無我夢中で精一杯なGIだっただけだけど(笑)。
舞台の中央には、キラキラと輝く美奈子の姿があった。
本田美奈子ちゃんは同い年で、『ミスサイゴン』でミュージカルデビューという境遇も一緒なので、とても仲良くさせてもらった。共に無類の音楽好きで「このCD良いよ~」なんてCDを貸し借りしたこともある。後にエポニーヌとマリウスを演じ、タプチムとルンタを演じることになるなんて思いもしなかったけど。
いつもニコニコしていて、ポワ~ンとしていて、でもそんな内側には、稲妻のように鋭い感性と炎のように燃える情熱があった。いまだに美奈子ちゃんが稽古場で最初に「命をあげよう」を歌った衝撃は忘れられない。なんていう”魂の声”だろうって思った….。
5月5日になると、やっぱり美奈子のことを思い出しちゃうね。お世話になった大先輩方の叱咤激励の言葉の数々も。「大使館には~いれよ」の直前にドアの後ろでスタンバイしてるドキドキ感も。みんなみんな大切な想い出。
あれから20年。
山あり谷あり断崖絶壁ありフライングあり(笑)の20年だったけど、その年月に、一瞬一瞬に感謝の気持ちでいっぱいだ。
何よりも応援してくれる皆様がいてくれたからこその20年。
億千万の「ありがとう」を言わせて下さい。
21年目。まずは、11~13日の『ブロードウェイ・ミュージカル・ライヴ』だね。お楽しみに!!!
>初演のファンさま、初演を御覧になった幸運はたいへんすばらしいものと思います。その頃は私はオペラ三昧→貧乏の生活で、ミュージカルを観たいとは全く思いませんでした。まあ、バージョンによって、表現や解釈は変わるのでしょうね。この作品がかつて東南アジアで批判が多かったことは知っています。今でも本国に残って国を作ってきたベトナム人が観たら怒るかもしれません。ちょっとやりすぎなくらい、アメリカを皮肉っている部分は確かにあると思いますが、そんなアメリカに命を断ってまでたった一人小さな息子を送りたいとしたら、余計に短絡的で安易、悲惨過ぎる気がします。母親は子供を守るため、最後まで戦って欲しかったと思います。しかもこれは3年後のバンコックで、仕事もあり、難民キャンプでもない。今年のバージョンはどうなのか、またご意見お聞かせください。
一孝さ〜ん。
デビュー20周年☆★おめでとうございます(^O^)
1992年は、まだ高校生でミュージカルというものを観たことがなかった私。Rockにハマッてた時代でした。
その数年後に、ミュージカルに少しずつハマッて今に至ります。
『ミスサイゴン』
☆命をあげよう…この歌を初めて聞いた時、涙が自然とながれました。いつ聞いても泣いちゃうけどね。
初演から12年後の2004年に初めて観劇しました。
ミスサイゴンのCDを買って、舞台を見るまえにCDを聞いて聴いてして、見に行った記憶があります。
タイムマシーンがあるならば、本田 美奈子.さんのキムと一孝さんのGIがミテミタイ。
本田 美奈子.さんの舞台は一度だけ観て…惚れた☆(レミゼラブル コンサート)あの、か細い小さな体型で、あんな歌声が出るなんてw(°□°)w
今まで、ミスサイゴンのCDでしか歌声を聴いたことがなかったので…ナマ拝見で、めっちゃ好きになりました。
今年も、ミスサイゴン見に行かねばε=┏( ・_・)┛
はじめまして。
少し前にこちらを発見して、石井さんの文章のおもしろさにほぼ日参していました。
私はもともと市村さんのファンで、四季退団後はじめての大作となった『ミス・サイゴン』初演、かなり気合を入れて観ました。
大規模オーディションの募集から、出演者決定、サイゴンスクールの記事、メイキングのテレビ特番。可能な限りチェックしてドキドキと待ちわびました。
私にとってもはじめての帝国劇場。なにもかも素晴らしいクオリティ。
毎月のように上京し、何十回と劇場に足を運びました。
アンサンブルの方々もかなり覚えて、石井さんがマリウスをされた時には『ミス・サイゴン』に出てた彼だ!と喜びましたし、岡さんのアンジョルラスとともに、最高のキャスティングだ!!と思いました。
話を戻して。
そもそも市村さん目当てですから最後のシーンも、タムにキム(の絶命した姿)が見えないように抱きしめるエンジニアの背中を目で追っていたり、幕が降りる瞬間タムに手をさしのべるエレンを見て、きっと彼女が育てるのだろうな、、なんて考えたりはしても、キムがなぜそういう選択をしたのかについては長いこと保留でした。
はじめて見たときは、ええっそんなオチ?!と驚きましたし。
いつしか私なりにできた解釈は、
キムをおおっていた絶望の一番は、罪悪感であり。
クリスが来たときが、唯一の生きる理由であった”(タムを育てるという)使命”の終わりだったのだろう、と。
トゥイに再会する前には、今も信じてる、とクリスへの想いを歌い、エンジニアに「あんなこと(売春)やめた」と言えたのに。タムを守るためとはいえ、トゥイをあやめてしまったことに慟哭するキム、逃げるキム。でもキムの心はトゥイの亡霊から逃れられず。
ジョンと会って「神様から許された」と言うキムはずっと、許されたかったんだろう。
幸福な気持ちで支度するときに現れるトゥイは、キム自身が自分には幸せになる資格はないとどこかで思っている証拠で。
『命をあげよう』最初の頃の訳詞
「望むものになるの 正しけりゃ何でも つかまえなさいチャンス」
ここは意訳だったのかもしれないけど、タムには陽の当たる生活をしてほしい(自分にはできないけど)ということなのかな、と。
すべて許された!という喜びから一転するキム。
それを知っている私たち観客の前で繰り広げられる『アメリカン・ドリーム』。
市村さんが劇場中をギラギラとしたエネルギーで魅了するほどに、空しさとか儚さとかモヤっとしたものが喉にひっかかる感じ。お金にキスするところといい。
結局のところ私の中では『ミス・サイゴン』は反戦ミュージカルで、それもアメリカを皮肉ったものだという位置づけです。アジア蔑視でも白人バンザイでもなく。かといって、苦悩するクリスや2幕のジョン、それからエレンを見るに、アメリカ人を揶揄しているわけでもなく。
ウエディングのハーモニーの美しさ、ドラゴンダンサーの格好良さ。
そしてなにより美しい音楽。
東洋と西洋の思考・信仰の違いや、ベトナム文化の美しさが際立つ作品という印象でした。
本田美奈子さんは、誰でも一目惚れしちゃいそうな容姿と意志をもった歌声で、頭で理解する前に胸に飛び込んでくるキムでした。登場から目をひいて「泣かない 考えない 」からもう一気にキムに心が寄り添ってしまって、上で書いたようなことはすべて後付けの解釈です。
最近では、そのほうがわかりやすいからか何なのか、キムとクリスの悲恋って部分と子に命をささげる母ってのをウリにし過ぎていて、演出も曲もところどころ…というか結構変わってしまって、ちょっとなんだかな~と思っています。といいつつ再演のたびに観ているし、2012年版も楽しみにしてます。
はじめての書き込みで、長々書いてしまってすみません。
最後に、石井さんのデビュー作に立ち会えたことを嬉しく思っていることと、同世代で勝手に親近感おぼえていたもので、今までもこれからも、ずっと応援しています。
遅くなりましたが、20周年おめでとうございます。
21年目とこれからのご活躍をお祈りしています。
石井さん、おはようございます(^^)
初演の『ミス・サイゴン』の時、好きな劇団があって他を観る気が全くなかった頃でした。
石井さんのGI観たかったなぁ。
石井さんの名前と顔を初めて知った時のエポニーヌは美奈子ちゃんで、二人の組み合わせが大好きでした。
石井さんルンタ(出番少なかったぁ)を観に2度大阪に行ったけど、美奈子ちゃんタプチムとのデュエットは今も耳に残ってます♪
>億千万
郷ひろみさんが浮かんじゃいました(^^;)
今日もお出掛けですか?
気をつけてヾ(^_^)
>絢さ~ん、これは戦争が終わって3年後1978年で、
しかも平和なタイ王国のバンコックでの自殺なんです。
非常に短絡的な自殺で、
クリスがやってくると知らなければ、クリスの奥さんに会わなければ、
自殺しなかったのでは?
子供をどうしてもアメリカに行かせるというほどの、
せっぱつまった状況は考えにくい。
1978年頃はまだ、バンコック市内に子供の物売りはたくさんいましたが、
みんなたくましく稼いでいましたよ。
アジア諸国で第二次大戦前に欧米列強の植民地にならなかった国は、タイと日本だけです。
他はすべて植民地になった。
日本は今の北朝鮮以上の経済封鎖をくらって、
石油確保のルートを断たれたのが最終的に真珠湾につながりました。
半年と石油はもたなかったはず。植民地になるか真珠湾かどちらかだった。
先に日本に仕掛けさせる米英の事前の密約はすでにばれて歴史上の事実。
開戦直後から日本陸軍の一部はただちに南へ向かった。スマトラ島メダンの油田を真っ先にめざしたから。
仮に戦争になっても先に日本に仕掛けさせることになっていたし、
戦争ももっと短期間で終わると米英は踏んでた。
予想外にねばった日本の首脳陣も、この戦争に勝つとは実は最初から思ってなかったのでは。
(このあたり父の著書が数冊あって紹介したいけど、本名ばれるからやめておきます。
これは私は書いていません。読売新聞書評歴史部門年間ベスト3に入った名著)
とにかく、タイと日本は独立を保つだけの文化的背景と国力があった。
負けはしたが、日本は植民地にはならなかった。
タイも国力あるんです。戦争中も戦後も独立を保った。
タイ人は民族的に強い。気が荒いというか・・
今もタイの法律では、旦那の浮気がばれて奥さんが夫を刺し殺しても、奥さん無罪です。怖~
ベトナム戦争後、バンコックに脱出できた人達はまだ恵まれています。
大半は陸路で周辺国へ脱出、ランドピープルとなり、
それが出来なかった人は小船で脱出し、ボートピープルになりました。
このあと10年以上ボートピープルは見かけられました。最終1995年。
小船に乗って岸を離れ、国を脱出するわけです。
80年代には国連の帰国手当て目当ての偽装ボートピープルも横行。
サイゴン陥落1975年直後にインドシナ3国からの難民は144万人で、
居住先の欧米諸国+日本に迎えられたのは約130万人。
ピークは1979年。
1979年からは海外のベトナム人が本国の家族を呼び寄せる制度ができて、
ベトナム人がさらに60万人海外移住。
1980年以降は政情が安定し、難民は減りました。
別にアメリカ兵の子供だからアメリカに優先的に行けたわけでもなく、
混乱の中、難民キャンプ経由かボートピープルの形で、受け入れ国へ130万人もが出国した。
うち80万人以上がアメリカへ定住した。家族呼び寄せ制度以前で、80万人も!
難民になる理由は、南ベトナム政府の関係者、協力者、政治的に新政権に不満や不安のある人達です。
いったい売春宿の経営者のエンジニアや売春婦のキムに、
政治的に南ベトナム政府寄りだった過去がどの程度あったのかは、疑問です。
キムが人を殺したから逃げたんでしたよね。
キムがバンコックでホステスをして暮していたなら、
着のみ着のままの難民とは違う。
どうしても親子でアメリカに行きたければ、
キムは弁護士に相談すべきだった。ないしはアメリカ大使館に亡命申請。難民キャンプに入るという方法も。
サイゴンで商売しにくいので、バンコックに場所を移した・・というくらいのことで、
難民キャンプにいなくてすむ状態なのに、
よくも子供をダシに、この悲恋ストーリーをでっち上げたとびっくりです。
キムはうつだったんですか?
子供のためと言いながら結局自分のために自殺した母親を美化するのはごめんだし、
アメリカのゴージャスな生活を夢見るシーン含め、
この作品、ストーリーおかしい。白人至上主義のゴリ押し。
この内容がヒットしたとしたら、日本人はおめでたい。
戦後民主主義の名の下にアメリカに洗脳されちゃった?
ベトナムおよびベトナムに近い国々では、
いまだにこれは不快感を持たれる作品ではありませんか?
戦争が悲惨、避けたい・・というのは正しいが、
誰も好き好んで戦争を始めたりしない。
勝手に他国で戦争初めて、始めた理由の正当性も明らかにしないまま負けて逃げ帰ったアメリカは、
こういう作品も自分達の隠れ蓑にしていそう・・イギリスの作品ですが。
仕事だから出演するのはあたりまえだけど、
変だと思いながら出演している人も結構いるかも・・
売春婦で人殺し?これでもかというくらい汚れ役のヒロインにあまり同情も共感もできないな・・
戦争のせいにしてはいけない。
だからって全員売春婦になり、人殺しするわけではない。
作者に言いたい。
「これでもかっていう不幸のてんこ盛り、ひどすぎてバカバカしくて笑える!」
教授、20周年おめでとうございます。
夢と理想を体現することに情熱を注ぎ20年。そして現在に至る。
素敵ですね^^。
その都度、目の前のいろんな現実と折り合いながら築いてこられた
教授の20年+α、カッコイイですよ*^^*
なかなかたくさんは石井さんにお目にかかることのできない私ですが、
これからもファンでいさせてくださいませね*^^*
カズさん、こんばんは(*^_^*)
断崖絶壁で「オーマイガッ!」ですね(笑)
いろいろな経験をして今のカズさんがあるんですよね。
きっとそのどれか一つでも欠けてたらカズさんと出会えてなかったのかな、と思うととても不思議な感じ…
成人の日に立ち会えたのもきっと何かの縁ですね(^○^)
で、21年目最初の日…
やっぱり…やっぱりなのね…。
ちょっとでも雨を降らせないと気が済まないんですね(-“-)
ちょっとどころじゃないか(^^ゞ
えぇ、ちゃんと折りたたみ傘を持って行きましたよ。
新たなスタートの日ですもの(・ω・)bグッ
21年目最初のステージ、BWML楽しみにしてます!
…やっぱり傘は必要ですか?
『ミス・サイゴン』というミュージカルが存在することは中学生の頃から知っていたのですが、未だ観たことがありません。それが悔しくて仕方ないです。
ただ、ライヴCDで何百回も聴いているので、歌詞はもうほとんど覚えています。
そのCD、「大使館には~いれよ~」は……え?石井さんの声…なの…???
本田美奈子さんの「命をあげよう」はCDだけでなく後にコンサートで歌われたヴァージョンもyoutubeで何度も見ましたが、悲痛な叫びと無償の母の愛が胸に突き刺さります。
私も、キムの自殺は納得できなくて、もっとほかの道はなかっただろうかと真剣に考えたことがあります。
でも、戦争の理不尽さと人を狂わす悲惨さを考えると、こんなことが実際にあったのだろうと思えます。
自殺のシーンはCDで聞くだけで辛くなってしまい、最初はいたたまれなくなってどうしても最後まで聞く勇気が持てず、途中で止めてしまいました。
初めて銃声を聞いたときは、座り込んでしばらく頭を抱えていました。
それは大学生になってからです。
この超大作が帝劇100年のラインアップに入っていなかった理由は、震災直後にこんな辛いテーマの作品を上演してもまた悲しくなるだけだからかなあと想像しています。
満を持した今年の新演出は絶対に観に行きたいです。
そこに石井さんが出演しておられないことだけが残念ですが(T T)
石井さんの「Why God Why?」と「Bui Doi」、まだ一度もお聞きしたことがありません。
是非CDにしていただきたいです。そしてコンサートでもお聞きしたいです。
BWML、思いっきり歌って下さい!またのご報告、お待ちしております☆
21年目のスタートの『ブロードウェイ・ミュージカル・ライヴ』!!
楽しみにしてますねっっっ!!!
21年目の『初めの一歩の日!!』にこれだけの雨・風・雷とは。^^;
どこか、この空の下、我らが教授、絶好調なんだろ~な~って感じていました。(笑)
BWML楽しみにしておりますっ
石井さん、こんばんは★
もうお家に帰られましたか?外出お疲れ様でした。
今日も夜空には真ん丸のお月様が輝いてます。そちらからも見えますか?石井さんと同じお月様を見たくて近所をてくてく歩いてきました(^.^) 今朝の朝日も燃えるようにオレンジでとってもキレイで見とれてしまいました。
素晴らしくて心が安らぐものを見たとき、そのまんま石井さんにプレゼントしたくなります。きっと忙しくて見逃してる事多いでしょうから(^^)
21年目スタートしました。
だからって何も変わらず、今のまま一日一日大切に過ごしてください。これまでもそうだったように、自分らしく が一番です(^_-)-☆ そんな石井さんが大好きなんですもーん♪
山あり谷あり、断崖絶壁、フライング、出逢い、別れ…誰の人生にも訪れる事。私も何回断崖絶壁から踏み外してるかわからない(爆) でも今ここで笑えてるのは、周りで支えて慰めて気づかせてくれた人や何かがあったからです。
傷みが分かるから人に優しくできるんですよね。私はまだまだ自我が強いですが、石井さんの優しさは素晴らしいです!!! なので、私も石井さんには少し(少しかぃっ!)優しくしたいと思います(^艸^)
21年目の初仕事「ブロードウェイミュージカルライヴ」、優しく見守らせて頂きます(*^з^)♪
kazuさん。20周年おめでとうございますm(_ _)m
20年のうちのほんの一部しか知りませんが、kazuさんを知ることができて、お逢いすることができて、幸せいっぱいです♪
億千万の「ありがとう」を倍返しで差し上げます(^-^)
これからもたくさんの幸せを舞い降らせることができますように☆
あ、雨は時々にしてくださいね(笑)
記念すべき21年目のカズさんのステージ。
BWLに参加。
同じ場所にいれる事を幸せに思います。