3月10日。いじけ気味の空。フランクリンの心とおんなじだ(笑)。
Wonderful Ladyの皆様、おはよう。昨日、無事に(無事なのか….)幕が開きました。お客さんが入るとやはり空気が変わって作品が前に歩き出した気がする。料理で言えば最後のキメの隠し味が投入されたようなものか。つまりお客様は、カレーにおける板チョコとかに似ている(笑)。
★重要インフォメーションその3
「サボタージュ」
俺は恥ずかしながらこの単語知らんかった。聞いたことはあるなあ….はい終了、こんなレヴェルでした(泣)。クイズ番組に出ていたら、響きから「マシュマロのお菓子」か「ちょっと苦みのあるポタージュスープ」と早押ししていたと思う。残念!
きみらは当然知っているよね…知ってるよね?俺の口から、最近意味を知ったばかりのこのワードが出ますからご期待下さい。
★重要インフォメーションその4
この作品の時代設定は1979年だ!
きみ、79年といえば、世界中がディスコ・ディスコ・ディスコで踊り来るっていた時代だよ。『チェス』のABBAも大活躍中のあの時代。俺は11歳。きみは何歳だったんだ?言えないか…そうか、言えないのか(笑)。
携帯電話やパソコンなんか当然ないし、どころかCDもMDもDVDも無いよ。レコードだよレコード!俺の大好きなレコードしか音楽ソフトは無かったんだぞ。あ、録音はカセットテープ。以上。
電話は家に1台。お父さんもお母さんも一緒に使うやつだけ。好きな075と夜中に極小の声で話すスリル…これを今の若者に味合わせてやりたい。
1000円札を全部10円玉にして、寒空の下、公衆電話で1時間くらい会話する根性。
今ではすべて失われてしまった映像だ。
不便だったし馬鹿みたいだが、いちいち行動にドラマが存在した時代。
この時代を体感したみなさま、他にどんなドラマがあったかな?臆せず書き込んで下さいませ。知らんふりは無し!
では今日もドラマと出逢いに行ってきます。
『サボタージュ』何、それ?? 美味しいのォ?
・・・って 知りませんでした。
お子ちゃま時代かぁ~
懐かしいなぁ (=´ー`) 遠い目~。
ずっと お外で 遊んでたなぁ~
『ご飯よ!帰っておいで~!!』って言われ渋々 家に戻り
食べ終わったら また 外に遊びに行ってたなぁ
黒電話の鳴る音が大きくて 響くから電話の上にクッションや座布団を
かぶせて 電話が鳴る音を 両親に聞かれなぃように工夫したり コソコソ話したり・・・
79年ってディスコの時代なんですね!?
まだ まだ全然 行ける歳じゃなかったから 行かなかったけど その後も ディスコやclub 行かずじまいだったなぁ~
(人からは ビックリされるですが・・・)
ローズマリーさんの
「今、膝小僧出して半ズボンはいてる11歳濃い可愛い男の子。
33年後にその子がめちゃくちゃもっと濃いくなって髭毛根のしっかりしてない素敵な汗かきの男性になって、
あなたにとってかけがえのない人になってあらわれるよ。」
・・・この描写が すごく 素敵
kazuちゃんの幼少時代を 妄想しちゃぃました .。.:*・゜゜・(´ー`).。*・゜゜・*:.。.
9to5、めっちゃ面白かったです。(^O^)
生き生きとスカート覗いてましたが、あれ、素じゃないですよね(笑)?
しかし、フランクリンさんは、あんな逆襲されるほどの悪い奴には見えませんでしたけどねぇ。
って、私が一孝さんに甘いだけ?!
1979年頃は、日本にいなかったかも。
現地の子と間違えられるくらい、ガンガン日焼けして遊んでいた、無邪気なちびっ子時代です。
でも、小学生までの日焼けは、無かったことに出来るんですって☆
美容部員さんのその言葉を信じて、必死に美白美白美白美白(笑)
今では色白さんになりました♪
ちびっ子過ぎて、残念ながらドラマはないです。
すみません〜。(>_<)
教授こんばんは。
>「サボタージュ」
一応「サボる」の語源ってことぐらいは知ってるレヴェルです。
ただ英語での意味合いとなると「サボタージュ」って結構物騒…。これはさすがに知らなかった(汗)
しかし、教授が知らなかったのは意外です…Σ(゚д゚lll)
>俺は11歳。きみは何歳だったんだ?言えないか…そうか、言えないのか(笑)。
生まれ年ではありますが…なにか?|゚Д゚))) この作品、何月設定でしょうか?
それによっては、母親のお腹の中か?新生児か?そんなカンジです(笑)
電話といえば、いまだにウチの電話は黒電話。これ、人に話すと結構珍しがられます。
携帯もあるし、今さら変える必要性がないという(笑)
kazuさん 今日も舞台お疲れ様でした! 今日は何か珍しい出来事は遭遇してませんか?
1979年 調べてみました。ドラマは金八先生 ふぞろいの林檎たち 等があり サザンのいとしのエリーが。う…懐かしい(^O^)
ジュディオングの魅せられて と西城秀樹の ヤングマンが 賞争いしていた年代なんですね。
そうそう ウォークマンは7月に発売になってたみたいです。私は数年後に録音機能もあるのを買ったと思います。単3電池がすぐになくなってよく買ったのを思い出します。
調べてたら その年産まれた有名人の中に 7月6日井上芳雄(ミュージカル俳優)と書かれてました。 1979年…どっかで見覚えある年だな…とずっと思ってたんです。思い出させてくれました。昨年は三銃士開幕前で キャストの皆さんからケーキでお祝いして頂いたかな? あの7月24日の貸切公演は忘れてはいませんよ!
最前列だったので ちょいと席立って 汗拭って差し上げたくなりましたもん。芳雄さんも汗かきですが芳雄さん以上の汗をかいていたのは 今のところkazuさん以上の人に出会ってません !(^^)! これは汗かきベスト3に間違いなく入りますよ、ハイ (゜▽゜)
このくらいにして…そろそろ夕食の支度をしないと。
我が家の電話は プッシュホンでした。我が家もですが 受話器の上にレースで作ったカバーをかけていました。友達の家でもカバーはよく見かけましたよ。幼い頃からね。
電話機そのものにもカバー付けてました。
お疲れ様です。
1979年。さぁ何をしてたでしょうか?
外で遊んでいるほうが多かったですかね。
蝉取りか、クワガタ又はカブトムシを取っていましたね。
tvは、ピンクレディとか流行っていました。
時々サボタージュとかと思ってしまいますが、
やはり理性に押し戻されることが多いです。
Bonjour ☆ カズさん
1979年…生まれてません(((((((・・;)
好きな人とは懐かしのポケベルでやり取りしてました。それを平成生まれの子に言ったら「古いですぅ~」と言われてどん凹み。。
1979年…何歳だったかなんて、知ってるくせに!
って、知らないか(笑)。
そう、レコードとカセットでしたね。
レコード針、買いに行ったこともあります。
レコードに埃がつくと、静電気でなかなか取れなかったのは私だけ?
電話が鳴ると(今のようなオシャレな音ではない。けたたましい音)
階段をドドっと駆け下りて、親よりも先に出る。長電話してると、受話器が重くて腕が疲れるし、耳も痛くなる。
ちょっと大人になってから、私も駅のホームで待ち続けたこともありました。
終電のひとつ前の電車にドラマの進展がありました…。
携帯もパソコンもない時代だったけど、ゆったりとした時間が流れていたような気がします。
かずさんも同じような時代を生きてきたのだと思うと、何だか嬉しいです。(*^o^*)
『9 to 5』二日目、今日も絶好調フランクリンですか?早く16日にならないかなぁ〜お会いしたいですっ!それまでまたこちらにお邪魔いたします。
『サボタージュ』はどなたかも書いてらっしゃいましたが、『サボる』の語源になった言葉ですよね?サボタージュされたらフランクリン真っ青ですもんね。
1979年っていうと私は6歳でした。ピンクレディーに夢中になって、リカちゃん人形で遊び、8時だよ全員集合!を見て「志村、後ろ!後ろ!」と画面に叫び、ジュリーこと沢田研二さんに恋するマセガキでした。(笑)
いとこのお姉さんが聞くディスコナンバーで洋楽の世界を知り、大人になったら…と憧れた記憶が…。
懐かしき昭和のノスタルジーですね、良い時代だったと思います。
電話エピソードは皆さんのようなキュンとなるようなお話は無いですが。(笑)
回線が混線することってありましたよね?あれは気持ち悪い半面不思議で、混線しないかなぁと変な期待をしていました。(笑)
不便さを不便と思わなかった時代。便利さも大切だけど、不便さを知る最後の世代としてはあの時の思い出は大事に記憶しておきたいです…。
『9to5』開幕おめでとうございます。
79年まではいかないのですが、まだケータイが珍しかった頃。とある駅で女友達との待ち合わせで待っていたところ、構内放送でいきなり自分の名前が呼ばれました。何ごとか!と急いで改札へ駆けつけると、「○分遅れるので先に行ってて」という伝言を駅員さんが伝えてくれました。
…ケータイって便利だなぁ。
いじわるフランクリン様こんにちは。君は何歳?ええ言えませんとも。ドラマ語れば歳が見えるじゃあ〜りませんか。知らんふりしようとしましたが・・だめですか・・・(~_~;)はい。ディスコ全盛をリアルに生き抜きました。チークタイムに、メリージェーン。フロアーがキラキラになるStylistics、SaturdayNightFeverのトラボルタの出現は当時のディスコを変えました。男女同伴でないと入れないディスコもあり、ディスコの入口はパートーナーを見つける男女で溢れていました。居間の黒電話は彼氏からかかってくると家族中がテレビを観つつも耳ダンボ。まして父が電話を取ろうものなら、居ても「おりません」ガチャっと切られておりました。当時まだ駅の伝言板もあり、それはそれは風情ある、待ち合わせでした。その日きちんと会えるか、会えないか、それさえが大きな問題でした。改札口は君待つ幸せの場所でした。何時間も待っても平気。待つことも会えた時の喜びに繋がる幸せの1ページでした。公衆電話の中で笑ったり泣き崩れたり・・・色々なセピア色のドラマ。手にも取れない、目にもみえない、掴みきれない恋を探し出すのが昔の恋なら、今の恋は同じものを同じ時に感じ見つめられる、瞬間を一緒に生きれる恋かもしれませんね。当時の私に教えてあげたいです。 「今、膝小僧出して半ズボンはいてる11歳濃い可愛い男の子。33年後にその子がめちゃくちゃもっと濃いくなって髭毛根のしっかりしてない素敵な汗かきの男性になって、あなたにとってかけがえのない人になってあらわれるよ。」って。笑 今も昔も変わらないのは人の心。今のかずさんが伝わるこの場所も大切です。もちろんセピアな幸せも大切にしまっています。
しゃっちょ~さん、ご機嫌よう(^o^)/
開幕して初の週末ですね!劇場に駆けつけられる方々も増えて益々賑やかになりそうですね!しゃっちょ~さんも楽しんでねん♪
で、私の実体験でなくて恐縮ですが、ビデオ録画が気軽に出来なかった昭和のある日テレビ放映初登場のある劇場用映画を『録音』する試みに打って出た親友がいました。カセットデッキをテレビの前に置いてCM以外は家族のものに一切おしゃべりさせない徹底ぶりて録音見事成功!
その『音声の玉手箱』のお陰でしばしその映画の世界にどっぷり浸れたらしいですわ。
そして何を隠そうその映画とはどなたかもコメントで触れておられた『銀河鉄道999』でした。音が想像力を育んだ幸せな時代でした(*^o^*)
長々と失礼致しましたm(_ _)mつい自分もあの頃にトリップしちゃった(笑)
本日もいってらっしゃい☆
kazuさん!
こんにちは!ケイです!
昨日は雨の中無事に開幕おめでとうございましたぁ〜(^-^)/~~
今日の9to5を楽しむ方法第二段は「サボタージュ」ですかぁ〜(・・?
これまた、アタシは知りませんでした…(–;)
「サボタージュ」
今時の戦隊ものの名前かぁσ(^_^;)?
或いは、新作の口紅の名前かなぁ〜σ(^_^;)?
本間にダメだなぁ〜アタシってぇ〜( ̄◇ ̄;)
そんなレベルでも9to5観る価値ありますかねぇ〜(・・?
価値無いと言われても観に行きますがなっ( ´艸`)
っで、意味分からんでも舞台観て解釈しますよぉ〜σ(^_^;)?
ガンバレ!アタシo(^o^)oなんちって( ´艸`)
2日目の公演もじき始まりますねぇ〜o(^o^)o
今日も思う存分パワハラって下さいませ(^-^)/
っで…!
1979年ねぇ〜。
ケイは6歳だったよぉ〜。
この頃はアタシ、泥んこになって毎日遊んでたなぁ〜o(^o^)o
昔は虫も手掴み平気だったから、セミ取ったりサワガニ取ったりしたなぁ〜p(^-^)q
テレビでは、8時だよ!全員集合!とかメチャ見てたし、ピンクレディのマネもよくしたなぁ〜o(^o^)o
後、郷ひろみさん筆頭に新御三家やジュディー事沢田研二さん(漢字間違ってたらゴメンナサイm(_ _)m)もよく出てたね!
いつだったか?
ジュディーが「TOKIO」って曲でパラシュート付けて歌ってたのもよく見たなぁ〜!
なぁ〜つかしぃ〜o(^o^)o
後、アイドルの大運動会やスター誕生とかの番組もこの頃有った様な…!
もう少し後だったかな(・・?
あとね!あとね!
この頃、駄菓子屋さんやお菓子と日用品も併せて売ってる店もあっちこっちにあって店の前には赤い公衆電話が一台あったし、必ずって言っていい程、大村コンさんのオロナミンCの薄い鉄看板があったよね(o^-‘)b
ボンカレーの看板も見たなぁ〜!
kazuさん!
知らないとは言わせない( ´艸`)
お正月にはたこ上げもしたし紙風船でも遊んだし、餅つきも家の庭に窯が有ったから餅米蒸して杵と臼でお父さんやお爺ちゃんなど男性陣がペタコラつき上げた餅を台所で正座して待つアタシやお母さんなど女性陣がアツアツの餅を丸めてはつまみ食いしたなぁ〜o(^o^)o
その頃の話しし出したら止まんないわぁ〜(^^;)
っあ!
因みにうちは17年前の神戸の地震まで黒電話でジーコジーコとダイヤル廻しておりましたぁ〜(^_^;)
ではでは!
先日の江戸から昭和まで現代に近くお戻りになられたフランクリン社長!
今日も張り切って行ってらっしゃいませぇ〜(^-^)/~~
グラシアス!スパシーヴァ!!あ〜んど、おきばりやすぅ〜(^・^)/~~~
じゃ〜ねぇ〜(^-^)/~~
good bye★カタズカ イシイさん(^_-)
PS.
っあ!
kazuさんの名前逆に書いて今気付いたぁ〜(^^;)
「石井」って逆から読んでも「イシイ」なんですねっ(*^.^*)
って事はぁ〜!
もしも、アタシが石井家に嫁いだらアタシの名前「…」逆から読んだら名字が2つ並んだみたいになるわぁ〜(^^;)
キャハッヾ(^▽^)ノ
ちょっと笑けるかもぉ〜( ´艸`)ブフフッ
そうそう!
まさに豆奴さんの心情の描写の通りです!
私は6時間でした。
彼の車のトラブルが原因だったんですが、曲がってくるはずの交差点を見つめ、次に信号が変わったら…次こそきっと…って。
あの切ない感じ!思い出しました。
不便さが極上の恋愛のスパイスだった時代ですね。
もうじき家を出ます。うふふ♪
>「いじけ気味の空。フランクリンの心とおんなじだ・・」
なんで楽しそうなのにいじけるの、フランクリン?
>「カレーにおける板チョコ・・」隠し味にしてもそれはあまり一般的ではないな~
>「きみは何歳だったんだ?言えないか…そうか、言えないのか・・」
だってそんなの・・知りたきゃいまどき検索すれば。
>「好きな075と夜中に極小の声で話すスリル…」
あら、11歳にしちゃませてたのね。
この頃って、都内の小学生なら日曜日に四谷大塚とか行ってたのでは?
>「この時代を体感したみなさま、他にどんなドラマがあったかな?」
う~ん、劇場公開版の「宇宙戦艦ヤマト」シリーズと「スター・ウォーズ」にはまってた頃かな。
その頃の彼氏は遊びに行くとガーシュインやサティをよく弾いてくれた。
もちろんショパンやリストも弾いてたけど、リクエストすると次から次に私の趣味の曲を弾いてくれた。
ピアノはクラッシックのプロは無理だが、アマチュアとしては相当うまかった。
オケでオーボエもやってた。
今は都内で某大病院で勤務医やってるはず・・
こんなところでいいですか?
>ハイコさま そうそう、いつも私、りんかい線駅から外に出てわからなくなるんです。
徒歩5分に30分かかる完璧な方向音痴です。
「どこ~?」って友達に電話すると、
「あのね、目つぶって透視しなさい!」って言われて、その方が間違えない(笑)
サボタージュを知らない石井さんは、音楽に打ち込みつつ勉強も真面目に取り組む青年だったんではないしょうか?
え?違います?